Proud of YOU

朝起きると、母校である小学校から運動会のアナウンスが聞こえてきた。少し離れているけれど、音が風に乗って少し音の外れた音楽や声がひっきりなしに響いてくる。入場の曲はなんだったろう。聞きなれた曲だったが名前は知らない。知らないで大人になってしまった。

児童会の子が司会を務める開会式、校旗掲揚、国歌斉唱、校長先生のお話。国歌斉唱と校歌斉唱の違いがわからなかった頃、曲のでだしで判断していた気がする。

全国的に運動会が秋にあるというのを知ったのは中学校にあがってからだった。中学校の運動会は秋だった。それまでは、五月晴れと少し高い湿度の中でやるものだとずっと思っていた。徒競走、大玉ころがし、騎馬戦、台風の目、組体操、リレー。体育館の下にある駐車場は、コンクリートに囲まれた日陰で、そこだけいつもひんやり寒くて、運動会の時だけは車がないのでそこでみんなでお弁当を食べた。いつもは仕事で学校行事に参加できない父も、休日にある運動会にはたまに来て、一緒にお昼を食べていた。遠足で使うような小さな私だけのお弁当箱ではなくて、家族分のおかずが入る大きなお重のお弁当箱だった。
リレーの前には応援合戦があった。応援歌を歌って、シュプレヒコールをして。
運動会の曲も好きだった。天国と地獄、クシコス・ポスト、トルコ行進曲、ギャロップ。急きたてられているはずのに、ワクワクドキドキ楽しくて、運動は嫌いなはずなのに、徒競走やリレーに備えた裸足で歩く運動場はいつも心地よかった。

そんなことを思い出して、想像の中の運動場はとてもまぶしく、私はなんだかいたたまれなくて外出した。駅で、職場の先輩をすれ違った。彼女と一緒だったので、顔を伏せたけれど、目が合ってしまってなんとなく申し訳なく思った。

家に戻ってきたら夕方より少し早い時間で、いつのまにか運動会の閉会式が聞こえていた。来賓のPTA会長のあいさつが聞こえる。「今回の運動会のテーマは団結でした。優勝は白組だったけれど、テーマのことを考えるとどの組も優勝です」優勝を逃した子どもには慰みにもならない言葉かもしれない。でも、優勝すら興味がなくなった大人の私はとても感銘をうけていた。薄い暗さの中、吹き込むもたついた風で揺れるカーテンを見つめながら、子どもたちの頑張る姿を考えるとそれでいい気がした。優勝なんて称号、本当はいらないぐらいだ。子どもたちの声はみな一様に美しいのだから。
その後、ちょっと疲れた「校歌斉唱」のアナウンスが入り、懐かしい伴奏とともに校歌が聞こえてくる。小さな子が歌う声は、どうしてこうもかわいく素晴らしいのか。合唱を極めた子らよりも、ざっくばらんに下手もうまいも混ざって歌うことの、美しさよ。私も気づかぬうちに口ずさんでいた。
校歌の歌詞を、意味もわからず歌っていたときの方がきっとうまく歌えていた。歌詞は、美しいものを美しいと称え、同じ様に生きていこうと決意する歌だ。まっすぐなものは、やはり、美しいのだ。でも、そのことを、美しいと言えることは、認めることは、とても大変だ。曲がってしまった私は、中々美しいものをうつくしいと、言えない。

校歌を作った人も、駅であった先輩も、PTA会長も私も、まだそれがわからないだろう子どももみな、自分の美しさを持っていて、だれもがみな、それを信じて生きている。わかっていてもわからなくても。それはきっと尊いことだ。

五月晴れの下、子どもらはきっと日焼けの所為で顔が真っ赤になったにちがいない。それはとても、誇らしいことだ。誇れよ、若者。