半永久的に続く孤独

朝、走っていく男子中学生とすれ違った。白い半そでのカッターシャツの左胸を一生懸命おさえながら「おはようございます」と言い放ち、走っていく。どうして左胸をおさえているのか、彼が近づいてきてみると、左胸のポケットに入っている生徒手帳が落ちないようにしているのがわかった。彼の体が弾むたびに、生徒手帳も弾んでいる。おはよう、と返す前に彼は走って行ってしまった。いまどき、スポーツ刈りにしている中学生だった。

私も、中学生のころは生徒手帳をよく落としていたと思う。走ったりすることはあまりなかったけれど、体育の授業の着替えのときとかにぽとりとおちる。友人たちもよく落としていて、何の気なしに拾い上げる。拾い上げるときに、頭にすわっと血が上る感覚をなんとなく、思い出した。そのころ、生徒手帳にはみんな好きなアイドルの雑誌の切り抜きを入れていた。私は、なぜか友人がくれたデビュー当時の山田孝之の写真と、サッカー選手のベッカムの写真を入れていた。今も昔も大してアイドルとか著名人とかに好きという念を抱かないのに、年頃の女子はそういうもんだって言われてるように、みんなそうしていたので私もそうしていた。楽しくもなんともなかった。そういうことを、ふと思い出した。

いろんなことに嫌気がさして、頭もひどく痛くて、夫に「今日は調子が悪いのでごはんは作りたくないから、外で食べてきてほしい」旨のメッセージを送信したら、「わかった。早引けできるならしなよ」と返ってきたがそういわれたことも、それに返事をすることも億劫で無表情な顔文字だけ返した。感情を込めたくない、という感情が伝わっているだろうと思う。我ながら扱いづらい女だ。
とはいえ、家に帰るのもいやで適当に車を走らせる。独身時代はよく言っていたショッピングモールをうろつき、はたと自分に誕生日プレゼントを買おうと思い立ち、アクセサリーショップに立ち寄った。といって、大して高いものじゃなく、むしろ年の割には子供っぽくて狭い店だ。ほとんど客がいない店内をぶらぶら歩きまわって、安い、本当に安いネックレスを買った。この季節、どうせ汗をかいたらメッキがはがれてしまうだろう、ゴールドのネックレスを。安っぽいので十分だ。ものを大事にしないから、多分そのうちすぐなくす。
CDショップにもよって、フォールアウトボーイの新譜を買った。音楽のジャンルに疎くて彼らの所属するジャンルがなんというのか未だに知れないのだが、今でもCDを買って聞いている数少ないバンドの一つだ。もちろん、英語の歌詞なんてそらで聞いても意味はよくわらないが、わからない方がいいことはこの世の中に腐るほどある。知りたくないことも山ほどある。フォールアウトボーイは、わからない中で、わくわくさせてくれるから好きだ。曲を聴いているときだけは、童心に返っている気がする。それと、もう一枚、映画のサウンドトラックを買った。これは、元気がでる用にと思ったが、いつ聞けるかわからない。元気が出るのは、元気が心にたまっているときだけだということを、私は知っている。

本当は服もほしかったのに、アクセサリーとCD以外に買ったのは、夫の仕事用のワイシャツだった。不器用で、毎晩大泣きする私の扱いを知らない夫に苛立ちを抱えているのに、結局、ぬくもりを求めずにはいられなくて、与えられずにはいられなくてボタンダウンのワイシャツを二枚買った。気づかれないようにクロゼットにかけておこう。

フォールアウトボーイのCDを、カーステレオにセットして夜の街をまた走り出す。そういえば、中学生のときに美術の先生が油絵を描かせてくれた。我ながらこじらせていた暗い絵だったが、先生は絶賛してくれてタイトルも付けた方がよいと言ってくれた。そうして裏面に「半永久的につづくこ」まで書いたら、先生が「孤独、と続くの?」と言われて、急に恥ずかしくなった私は「こと、で終わり」と言い、「半永久的に続くこと」というタイトルにした。先生に、なんとなく見透かされたみたいでうまく書けなかった。
その先生が、美術展に入選したというので入場券をくれた。入選した先生の絵は、ダークグレーの廃墟の壁と、そこに留まる瑠璃色の蝶の絵だった。先生もわりとこじらせているんだな、と中学生ながらに思った。そんなことを、思い出した。

あれから十五年経っても、私のそばには夫よりも近くに孤独が寄り添っている。潔癖な私は、人に染まって汚れることができないでいる。苦しいのに、どうにもならない。私に近づく何をも、受け付けられない。
生徒手帳を拾うときの、あの、頭に血が上る感覚。中途半端なタイトルをつけてしまった油絵。フォールアウトボーイの歌声。ボタンダウンのシャツ。私の孤独を形作るものたち。

大人になった私も、わりとこじらせている。