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湯けむり夢子はお湯の中 #17 薫子さんの帰還

「薫子さん、おかえりなさい」

「ただいま、夢子ちゃん!ああ、日本に帰って初めて『ただいま』を言ったのが夢子ちゃんだなんて、素敵な気分だわ」

「ご実家へはまだなんですか?」

「ええ、荷物は送ったし、まずは思い出の商店街を通って銭湯へ行こうって決めてたの」

 薫子さん、綺麗だなぁ。
 陶器のような滑らかな肌に、お風呂で温まった頬がほんのり紅く染まって、内側からキラキラ発光しているかのようです。十年ぶりなのに、時の流れを感じさせません。
 対して自分は、このところお肌のお手入れサボりがちでした。目の下のクマは消えないし、乾燥でヒジとかかとは固くなったお餅状態。思わず湯にぶくぶくと潜りたくなります。

「ちょうどゆず湯の季節に帰ってこられてラッキーでしたね」

「ええ、こういうイベント、大好きよ」

 薫子さんは、湯に浮かぶゆずをひとつ手に取りました。そして、鼻先へ持ってくると、爽やかな柑橘の香りをハミングするように嗅いで「素敵」と呟きました。
 うっすら漂う湯気越しに、その姿をぼんやり眺めながら、「ゆずの国のお姫さまみたい」と思いました。薫子さんに改めてまた憧れを抱く夢子。

「ところで薫子さん、日本へはどうして?ご結婚してアメリカに渡ってからは初めての帰国ですよね?」

「あら、そうでもないのよ。と言っても、日本から私の両親が旅行で向こうの家へ立ち寄ることの方が多かったから、両親とはほぼ毎年会っていたんだけど、私も子ども達を連れて一度は日本へは帰ってきてたの」

「えー!そうだったんですか!私、ずっと薫子さんに会いたかったんです」

「ごめんなさい。あまりゆっくりできなくて、滞在が2,3日で慌ただしかったから。でも、五年くらい前だったかな…亀の湯が建て替えしているときに夢子ちゃんを訪ねたのよ。でも、たまたまお留守だったみたいで、拓也くんに訊いたら、夢子ちゃんちょうど旅行で出雲へ出発したばかりだって教えられて」

「ああ!そのときでしたか」

 そうでした。35歳の禊としてひとりサンライズ出雲に飛び乗り、出雲大社で縁結びのご祈願をしてきたのです。
 だったら拓ちゃん、薫子さんが来たこと私に教えてくれてもよかったのに。
 いや、たしか亀の湯騒動の折でしたね。拓ちゃんのお父さんは入院。その跡を継いで銭湯店主となり、ビリーの湯に大改造したのですものね。混乱の極みでしたから。

♨️

 すっかりゆず湯で温まった私と薫子さんは、銭湯の待合所のソファに並んで座りました。自販機でコーヒー牛乳を購入し、十年ぶりの再会に乾杯です。

「ぷはー、湯上がりのコーヒー牛乳は夢子ちゃんに伝授してもらったのよね」

 薫子さんが腰に手を当ててポーズをとります。

♨️

 ここにいると、初めて彼女と出会ったときのことが思い出されます。私が小学6年生で、ふたりは中学一年。夏休みも半ばにさしかかった頃。
 拓ちゃんのお父さんと、薫子さんのお父さまがかつての同級生で、アメリカから帰国後、娘の薫子さんを連れて亀の湯を訪れていたのでした。
 ちょうど待合所で拓ちゃんとフルーツ牛乳を飲みながら涼んでいると、彼女が番台で思い出話に花を咲かせているお父さま達から離れ、こちらへやって来ました。

「Hi!may I ask ……」

 突然、英語で話しかけられ、驚いて飛び上がる私達に、薫子さんはハッと目を見開き、ニコッと微笑みました。

「はじめまして、私は薫子です。あなた達はこの街に住んでいますか?」

 無言でブンブン頷く拓ちゃん。とんでもなくエレガントな彼女のオーラに心奪われる私。

「この人は亀の湯の子。私は商店街を出てすぐのお家に住んでるよ」
「まあ、亀の湯の跡取り息子さん?そしてあなたは……」
「夢子」
「夢子ちゃん!あなたにピッタリの可愛いお名前ですね」

 一瞬ポォ~ッと惚けて、モジモジし出す夢子。その横で拓ちゃんは、「銭湯の跡取りにはならねぇけどさ…」とブツブツ呟きながら、脇にある冷蔵庫から売り物のフルーツ牛乳の瓶を一本取り出し、薫子さんに渡しました。

「これは何?」
「フルーツ牛乳だよ」
「fruits?」
「イエース。フルーツミルクね」
「Oh,I see…」
「貸してみ?開けてやる」

 拓ちゃんがポンッと栓抜きで紙蓋を開けると、薫子さんはパアッと目を輝かせました。私がお手本として腰に手を当て、グビッと飲むポーズをとります。それに倣い薫子さんも腰に手を当てて、瓶を持ち上げました。

「いい飲みっぷりだ!」
「どう?美味しい?」
「うっぷ……不思議な味だわ…美味しいと思う」
「私はね、コーヒー牛乳の方が美味しいと思う」
「えっ?フルーツ牛乳の方が栄養あってうまいだろ?」
「拓ちゃん、そればっかり!」
「うふふ、ああ、楽しい!私、あなた達とお友達になりたいわ」
「もう友達だぜ」
「フルーツ牛乳で乾杯しようよ!」

 そう言って、三人は腕を伸ばし、フルーツ牛乳の瓶を高く掲げ、友情の乾杯というやつを交わしたのでした。

♨️

「そういえば、私、ここに初めて来たときは、フルーツ牛乳だったのよね」

 薫子さんも、私と同じことを思い出していたなんて!

~つづく~


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