見出し画像

くり

栗に絡めて。
最近「下ごしらえ」について考えることが多い。

玉子の裏ごしとか、海老の背ワタを取るとか、絹さやの筋やもやしの根?を取るとか。
風味や舌ざわりが確実に良くなるが、面倒な作業だ。
が、私はやって当たり前だと思っていたのだ。

ところが人と話していて、
「普段の料理に手間なもの作らない」とか、
「そんなに面倒なら、
そのメニューをチョイスしない」という
意見に触れて驚いた。同時に、わたしは食べたいものへの執着が強いと自覚した。もちろん、わたしもいつもいつも手の込んだものを作って食してはいない。でも、これこそは!と思うメニューには時間を割きたいと思っているようだ。

栗は何が大変かといえば、皮むきである。
皮が固く、すごく手を痛めながらやっても
成果が少ない、気がする(簡単な皮むき法などのライフハックは少し脇に置く)。

だったら作らないでおこうと、
思わなくもない。

ただ。

わたしは「下ごしらえの時間」が好き、
とも思う。

ちゃちゃっと作ったものがダメか、
といえばそんなこともないが、
しんどくても、
その方が美味しいことを知っているし、
美味しくなれ~と念じて調理することが料理を美味しくすると、どこかで信じているのだろう。 願いを込めることが美味しさを生むと言っても良い。

食べることも作ることも味わいたい、
てことを再認識出来るのが、
「下ごしらえの時間」なのかと
ぼんやり思っている。

創作の製作過程を覗きみて、楽しんでいただけたら。