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すいません、無理してました

無理してませんか?

先日、ほんとうはのび太くんになりたいのだ。

と気づきました。

え、マジですか。
書いてから自分につっこんだのですが、

書くことで、
ごちゃごちゃの思考の中から、
「自分」を掘り出すことができたわけです。

とはいえ、長年付き合ってきた「理想の自分」もいたりします。

わたしはヨガイントラでセラピストなので
心も身体も「しなやかでタフ」が理想です。

たるみのない輪郭、きゅっと上がった口角、
長い首、水平な鎖骨、なめらかな肩のライン、
くびれたウエストに少しだけ割れたお腹
(がっつり割れてるのはアウターだから違う)、
上がった丸いお尻にまっすぐな細い脚
(ただ細いだけではなくバランスの良い筋肉含)、
もちろんセルライトなんてない。

いつも穏やか、
自分の機嫌は自分で制御、
自分を心地よくするスキルを身に付けている。
イライラなんてもちろんしない。
人をのびのび心地よくさせることができる。

地に足をつけている落ち着きを備えて
でも軽やかに自分のやりたいことをやっている。

とか。

なんだろう、憧れちゃうヨガのインストラクター
みたいな感じですかね。

だいぶ頑張ったんですがw

頑張るには我慢がつきもの、っとふと気づきまして。

で、我慢してる人って、

そばにいると イヤ なんじゃない?
くつろげないんじゃない?

って、ふと思いまして。

理想があって、それに夢中で我慢とかじゃなくて
やりたいからやってる!なら
きっとそばにいて、勇気をもらうし、
応援したくなるし、パワーをもらえるんですけど、

理想の自分の裏にほんとうの願いが隠れていて、
そのために無理して頑張ってて、というと
なんか違う気がしまして。

なので、理想の自分の
その裏のほんとうの願いは何だろうって、
そっちを見つめていく方が、
優先なんじゃない?

誰に理想の自分を見せようとしてたのかなぁ。

きっと、認めてもらいたくて、
褒めてもらいたくて。

みんながそうではないのかもですが、
わたしの場合は、自分の中に風紀委員がいて
いつも「違う違う!!それは、わたしの理想の姿じゃないよ」と
言ってるんですよね。

なので、なかなかくつろげない。

自己肯定感とかの問題なのでしょうかね。

この風紀委員、いない方がいいかもしれない。

だって、イヤだし、くつろげない。

我慢して我慢して、でも我慢しきれなくて
ほんとうの願いを見ないふりして、
妥協して、結局不満を抱えて
ってなんか、つまらない。

誰に対して言うのか、まだよくわかりませんが

「すいません、無理してました」
えへ、そんなご立派な人間じゃござんせん(てへぺろ)

降参してみたら、なんか世界が変わるかなぁと
こんなタイトルの文章を書いてみました。

実は、ヨガのクラスでたまにいうんです。
「無理は、無理なんでだめですよ。」

だって、無理は「道理に反する」のです。

頭でわかってて人に伝えたいのに、
自分に強いてるっていうのが
ひどい分離ですね。乖離です。

無理、やめます。

無理してませんか?

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