見出し画像

Easytraveler's Fineview#01 -202310_京都.jp-

音楽に関する感想やレビュー記事を【Sorround me Music, Feel Good】と冠して書いています。大袈裟な言い方ですが、そういう「連載タイトル」のようなものを設定することで、筆が進むというか、一応書く気分になるというか、どちらかというと日記やメモとして残しておこうかという気持ちが起こりやすいように思います。

その旅行記版として、今後【Easytraveler's fineview】というタイトルで旅行記を書いていこうと。

…というのも、筆者は個人旅行に結構行く。

その先々の街並み、訪れた建物、展示やイベント、美味しかった食物、そこで遭遇した面白い出来事、感興、印象を残しておく枠のようなものを設定しておきたいなと。【Sorround me Music, Feel Good】と同じく、こちらも気分が乗った時(時間がとれる時)にしか書かない(書けない)と思うけれど…。

さっそく、第1回目は京都。土日の2日間、1泊旅行だったわりには色々行った方かな。


京都駅

建築家原広司の名作としても有名。ものすごいボリュームだけど、交錯する線路や人の動線もその空間の中で一体的に、まるで人工の渓谷のようなアウトプットとしてまとめてる。空間体験として今尚新鮮だし、京都という世界的な観光地、その地理や歴史の玄関口。あるいはスクランブルとして、この具現化は圧巻。

三十三間堂

初訪問。圧倒的な異空間。千手観音1000体が延々と並ぶ手前に風神雷神や金剛力士、ガルーダといった仏像が並ぶ。さらに本堂の裏側廊下には、かつて行われていた弓をより遠距離に射る競技にまつわる展示や、歴史的な遺産などが陳列されている。

アニメやゲームの世界なら、無限に空間や物が続くような表現はあるけれど、現実の、平清盛の時代にこんなのやっていたなんて、やっぱり日本人ってちょっとイっちゃってる…。

ヤバ過ぎるので観ておくべき。(※建物内撮影禁止)

清水寺

昔、家族旅行で訪れて以来2度目。「舞台」のかっこよさや見晴らしは、たとえ人でごったがえしていても価値が高いなと思う。

改めて観ていると、梁部材に鳥避け?かと思われる被せ板が斜めに張られているところや、縦樋なしで空中に放つ樋の造り・考え方などもかっこいい。

まだ訪問できていないが、広島の厳島神社が海なら、こちらは空、あるいは京の町並みを見下ろす展望にこそ神聖を見出だしたのだろう。立地こそ高い場所に建っているものの、宗教建築としての権威性よりも、そこから町や自然を眺める公共的・大衆的な眼差しを含んだ懐の広さがあるように思う。

建仁寺

初訪問。とりあえず「スミソニアン国立アジア美術館の名宝」という展示イベントに興味があり、実際に観に行ってみて正解だったなと思った。

展示物は「高精度の複製」として位置付けられており、「本物ではない」。

しかしそこに注がれた技術や手間、そして本物はアメリカにあり、「外部に出さない」物であることを考えると、かなり高い付加価値を宿していると感じる。

キャノンによる、本物に忠実な発色や凹凸をプロファイリングする技術は、今後様々な分野に応用されることが想像できるし、金箔などは現代の職人が手掛けており、「再現」と一言で表されつつも、現在進行形の技術の進化があってのこと。

個人的には、屏風や掛け軸といった展示物が、お寺という日本的な建築空間で展示出来(公開)できたことに高い価値があるように思う。

谷崎潤一郎『陰翳礼賛』には、日本は暗闇の中に光を宿す文化で、西欧は光を反射する文化みたいなことが書かれていたと思う。

実際、今回の展示物のオリジナルが描かれた当時の日本では、今の美術館のようにホワイトキューブ的な、均質な展示空間での鑑賞はなされていなかったはずだし、明るい照明なども普及していなかったはず。

むしろ、庇で遮られたり、格子戸や火灯窓で切り取られたり、障子に柔らげられたりと…。たぶん、そういう光の元に置かれ、見られる作品だったはずである。

日本建築やその当時の建具、それらの材質による干渉を経ての光が、金箔や銀箔に宿って薄暗闇の中で作品自体が発光するように見えたのではないかと想像するし、複製品とはいえ、その当時の印象に近い鑑賞体験ができたのではないかと思っている。

また、建仁寺の建物や庭といった空間自体に魅力があり、美術館のような回遊性があった。枯山水は、山や川を抽象化して庭で描いているが、他にも坪庭のような面積の小さい空間に小宇宙のように仏教思想を凝縮していたりする。確かに、敷地外とは全く別の美しさや神性があると感じた。

この場所での時間の最後に、今回イベント期間でなくても観ることができる「双竜」を見上げて終えたが、やはりこの場所で見上げることで価値が高いと考える。

筆者はふだん、別に信心深い人間ではないため宗教建築に用事があって訪れることは希である。けれど、無意識に宗教から享受しているものは確実にあると思う。京都は歴史的/世界的な宗教都市であることや、日本(人)のルーツであると言えること、外国人観光客もたくさん来ていることなども含めて、いろいろと考えの巡る展示と場所だった。

TIME'S

建築家安藤忠雄の名作の一つ。現在テナント入っていないようで閉鎖中だとか。半屋外の路地空間も含めて敷地内には立ち入れない状態なので、外観を少し眺めただけ。久しぶりに目にしたけれど、小川に寄り添い、近いレベルから立ち上がってるその佇まいが素敵だなと。

とは言え、どうやら入居テナントにとっては客寄せのショーウィンドウ効果が小さい(無い)ことや、道路側間口からすべての動線を引き込まなければならないことなど使い勝手は悪く、かつ賃料が高い(そもそも京都の一等地)。その上、近年コロナ禍にもさらされているという背景があるらしい。

時代ごとの現実的な事情と、建築物や街並み、歴史や文化としての価値とをどう捉えるのか?当事者意識を持つのか否かは個々人の自由ではあるものの、問いかけられているなとは思った。

鳩居堂本店

初訪問。木とスチール、その細いプロポーションの部材集積や隙間が取り込む光と生み出す陰翳が美しい建築。設計者は内藤廣

二棟あるうち一棟が販売物の取り扱いが主で、もう一棟が展示や倉庫、バックヤード的なスペースであると考えられる。無柱空間の大きさに対して、壁面や天井は細かいディテール。瓦屋根は転用もされているようだが、移築・保存ではなく、かつてあった建物のシルエット(面影)は受け継ぎつつも、現代建築として丁寧にまとめられている今の時代の商店建築である。

お土産にお香(アロマ)を買い、喫茶コーナーではお茶もいただいて、しばらく滞在。

(※撮影はして良いが、他のお客様などは映らないように。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?