「病院じゃない場所で産んでみた」①産院の決め方、私の場合
妊娠がわかったら誰もがすることになるのが、「どこで産むかを決めること」です。
「どこで産むか」と「どの病院で産むか」はイコールではありません。
実際、私は病院ではなく”助産院”という場所で赤ちゃんを産みました。
といってもはじめから助産院で、と思っていたわけではありません。
最初は私も多くの人と同じように「どの病院がいいかな」と思いながら産院探しをしていました。
そこから「病院ではない場所」で産むことにした経緯と、
そのめずらしい選択(病院以外での出産は全体の1%)の先に待っていたすばらしいお産体験、
それから「また入院したいなあ」と思うくらい楽しかった出産後の入院生活について、綴ってみたいと思います。
ピアスも開けられないほど痛いのが怖い
お腹の赤ちゃんがお空に帰ってしまうといった悲しいことにならなければ、妊娠がわかって数ヶ月後に必ず待ち受けている「出産」というイベント。
こればっかりは「ちょっと怖いから誰か代わって〜!」と自分以外の人に代わってもらうことができず、「準備がまだなのでもうすこし遅らせてください!」と延期することもできず、
もう自分の体で引き受けるしかないことですが、その「交代も延期も絶対にできないことが人生最大の痛みである」というのは結構な恐怖でした。
あれはたしか、中学生のころ。
私は女子校に通っていたのですが、休み時間だか授業中だったかにクラスメイトのこんな言葉が耳に飛び込んできました。
「赤ちゃんを産むときの痛みって、男の人にそのまま『はい』ってあげると死んじゃうんだって~」
中学生の無邪気な驚きから発せられたその言葉は、以降の人生でずっと私の心の片隅に小さく、だけど鉛のように重く残りつづけました。
「死ぬほど痛い」というのは決してオーバーな表現なんかではなくて、大の男が死に至るほどのものなんだ……と。
いつかそんな体験が自分を待っているのかもしれないと思うと、女性の体をもって生まれてきたことがすこし恨めしくなるほどでした。
まだまだ妊娠・出産は現実的なイベントではないし、人生の中で自分に子どもを産む機会があるかどうかはわからない。
そんなときからすでに「男の人であれば耐えきれなくて命を落とす痛み」のことを思うと、私の心はいつだってかげるのでした。
痛みが得意、むしろ好き!という人はいないと思うけれど、私だってもちろん痛いのは苦手だし嫌いです。
ピアスだって痛い思いをするのがいやで開けていないくらいなのに、耳に穴を開けるどころの騒ぎではないのが出産であって、誰がなんと言おうと「たしかに私は女性ですが出産に耐えられる体にはなっていません!」と主張したいくらいでした。
だから妊娠がわかったときは、十数年間恐れていたことがついに8ヶ月後に……!と身震いするような心境に。
当然無痛分娩にも興味があったし、私が分娩方法について何も言わないうちから彼も「無痛がいいよね?」と聞いてくれました。
無痛分娩で一つだけ気がかりだったこと
ふつうに考えて、痛いよりは痛くないほうがいいに決まっています。
なのですが、無痛分娩に関しては以前からひとつ気になることがありました。
無痛分娩とはすべて「この日に赤ちゃんを出しましょう」とあらかじめ決めるものだと思っていた私には、「こちらの都合で赤ちゃんが産まれてくる日時を決めてしまっていいのか」という思いがあったのです。
「赤ちゃんって産まれるタイミングを自分で選んで産まれてくるっていうし、こっちでそれを操作するっていうのもなあ……」と。
(のちに、あらかじめ予定日を決めるのは「計画無痛分娩」であり、自然に陣痛が来るのを待ってから麻酔を打つ「オンデマンド無痛分娩」もあると知りました)
余談ですが、一時期ホロスコープ(西洋占星術)にハマっていたことがあります。
占いと出産になんの関係が?と思われるかもしれませんが、すこしだけ続けます。
ホロスコープとは、その人がこの世に誕生した瞬間の天体の星々の配置図のこと。
これを読み解くとその人の生まれもった性質や今世のテーマなどがわかる、と言われています。
いわば人生の青写真のようなもので、個人的には結構当たる、信頼できるものだと思っています。
このホロスコープのなにが面白いって、自分とまったく同じ配置図の人は地球上に一人も存在しないという点です。
たとえ同じ日の同じ時間に生まれたとしても、出生場所によって微妙に星の配置は異なるからです。
(自分と完全に一致するホロスコープを持つ人が次に生まれるのは2万年以上先だとか)
地球上のひとりひとり、誰もが唯一無二の存在として生まれてきて、唯一無二の運命を背負っている。
その運命が書き込まれているのがホロスコープであり、ホロスコープが何によって決定づけられるかというと、出生のタイミング……
スピリチュアルの世界ではよく「人は生まれてくるときに今世のテーマを決めてくる」などと言いますが、今世のテーマはともかくとして、私も「赤ちゃんは生まれてくる時間も場所も自分で決めてくる」と思う派です。
「無痛分娩」=「計画無痛分娩」だと思っていたので、赤ちゃんの誕生日時を人為的に決めてしまうのってどうなのかなあ、という迷いがあったのです。
コロナ期の妊婦に立ちはだかる壁
とはいえ、痛みは怖い。痛いのはいやだ。
それに調べてみたら、自然に陣痛が来るのを待ってから痛みを和らげる麻酔を打つ、という方法もあるらしいし。
うん、それなら赤ちゃん自身のタイミングを尊重することになるのでは……?と思っていたのですが、そこに「無痛分娩の有無」とはまた別の、産院探しを左右する要素が浮上しました。
それは「立会い出産の可否」。
ときはコロナ真っ只中、多くの病院が分娩時のパートナーの立ち会いに制限を設けていたのです。
最終的に選んだ助産院に出会うまでに私は3軒の病院を見てまわったのですが、3軒とも立ち会い出産にはかなりの制限を設けていました。
「立ち合いは任意のタイミングで30分だけ」とか「夫婦二人ともワクチン接種している場合のみ可。しかし30分に限る」とか。
さらには出産時に妊婦はマスクをしていなくてはいけないとか、
退院するまではたとえ父親であっても母子には会えないとか、もう「えええ」と思うことが多く
「人生で一番酸素を必要としているときにマスクをつけていろとは正気ですか???」と心の中の開いた口がふさがらない事態に直面することに。
立ち会い出産は好き嫌い分かれるところだと思いますが、私の希望は断然立ち会い出産でした。
命がけでがんばらなくてはいけない時を、最愛のパートナーに見守ってもらうこともできず一人で過ごすなんて耐えられない…と。
なにせはじめての出産の所要時間は、平均で10時間以上。
「最後の30分だけそばにいてもらったって意味ないよう」というのが正直な気持ちであり、
「立ち会いに制限があるなら、もう普通の病院では産めないかも……」と思い始めたところで、
「病院以外の場所での出産」という選択が現実味をもって浮上した次第です。
無痛をとるか、立ち会いをとるか
病院で産むならば、無痛分娩という選択を「お守り」としてもっておけます。
「いざとなれば無痛」と思えるだけで、出産への恐怖はだいぶ和らぎそう。
その代わり、彼に立ち会ってもらうことはできません。
一方病院以外の場所で産むならば、医療行為である無痛分娩ができる可能性は消えます。
だけど彼に立ち会ってもらうことができる。
苦しい時にマスクを強要されることもないでしょう。
無痛分娩をとるか立ち会いをとるかでしばらく迷った私ですが、どちらも具体的に想像してみて、心は決まりました。
お産をしている自分の姿をイメージした時によりしっくりきたこと、そして「これは」と思う助産院と出会えたこと。
それらが決め手となり、私は病院ではない場所=助産院で産んでみることにしたのです。
(つづく)
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