見出し画像

「結婚にこだわらない自由なオンナ」のつもりだったのに

「絶対にいつか結婚したい」とか、「◯歳までには結婚」とつよく思ったことがない。

女性が感じる「結婚しなくては」というプレッシャーは、一昔前に比べればずいぶん軽くなったとはいえ、いまだに年を重ねるごとに焦りに駆られる女性はすくなくない。


そんななかでも私だけはそういった観念から自由だ、と思っていた。

「日本の結婚制度って明治時代から変わりばえしなくて必ずしも現代の環境や価値観にフィットしていないし、結婚なんて書類上の契約に過ぎないわけで、それで何が保証されるわけではないのだし〜」と。

結婚という「形」をとってみたところで、永遠にお互いが心変わりをしないとか、死ぬまで相手が自分を大切にしてくれるという保証はどこにもない。

なのにその「形」にすがろうとするなんて無意味。

現に、なまじ「形」をとったことで安心しきって夫婦関係にあぐらをかき、書類の上だけでのつながりしかないような夫婦もこの世にはごまんといるじゃない。

そんなふうに思っていた。


制度や慣習にたいしてなんの疑いも持たず、「とりあえず結婚」と結婚に向かっていく人たちの、なんて多いこと。
そう思って、結婚に関してはドライでいるつもりだった私。


一般に結婚に対する熱意があったり結婚を焦ったりするのは女性のほう、という認識があるけれど、そういう女性たちと自分を一緒にしないでほしいのにとさえ思っていた。

はずなのに。

子どもができた。でも結婚しないかもしれない


2022年、妊娠していることがわかった。

その子を産んで一緒に育てることではすぐにパートナーと合意したものの、法律婚には彼が「ちょっと待って」と慎重な姿勢を示した。

そして、それに対してもやもやする私がいた。

「本当に法律婚するのがいいのか、考えたい。事実婚のかたちをとって、独自に自分たちのあいだで契約書を交わすっていう道もあると思うから」と彼は言った。

「いまの日本の結婚制度はダイバーシティの観点からも古いし時代にそぐわない制度だから、思考停止でそれに従うことはしたくない」というのが彼の主張だった。


たしかに彼の言うことはその通りだ。
いまの日本の結婚制度からは多様性を認める姿勢が感じられない。


たとえば結婚することで得られる税制上の優遇も、「結婚は異性としかできない」という点で、どこまでいってもその優遇措置の恩恵を受けられない人たちが存在することになる。

また結婚したことで受けられる所得税の控除も、それを受けるために103万円以上の収入にならないように働き控えをする女性を多く生む仕組みであり、女性に「外で働かないで」と言っているのに近いところがある。


セクシャルマイノリティを認めないこととか、女性が仕事をすることへのストッパーになりうることとか、結婚制度に問題があるとは私も思う。


だから、もしと彼がすぐに「じゃあ結婚しよっ!」と言ったら、私のほうから「待って、一旦結婚とはどういうものなのか一緒に考えよう?」と言っていたと思う。


でも実際には、私がそれを言う前に彼が法律婚への慎重な姿勢を見せた。
そしてそのことになんとなく私は「結婚してもらえない女」みたいなモヤモヤを感じることになってしまった。


結婚へのこだわりなんてなかったはずなのに。

彼のほうが法律婚に待ったをかけたこと。
それに対してモヤモヤを感じたこと。

そこから私はいやでも「じつは私の中にも結婚へのこだわりがあったのでは?」と自分を疑うことになった。


一つしかなかった事実婚のデメリット


結婚へのこだわりらしきものが生まれた理由として、もちろん「子どもができたから」というのはある。

結婚制度は男女がつがいとなって子どもを育てるための制度という面があり、「結婚は子どもができたときに初めて考えるくらいでいい」という人もいる。

だからこそ「子どもがいないなら事実婚でもなんでもいいけど、子どもができたらだいたいは結婚するんじゃないの?」と思っている節があった。


そこで、籍を入れない夫婦での子育てについて調べてみると、結婚していないことで子育てに生じる不具合はさほどないようだとわかった。


せいぜい「どうして結婚していないんですか?」と頻繁につっこまれたら煩わしいかもしれない、という点くらいか。

私たちは「世間からどう見られるか」とか「『普通』じゃない選択をすることで周りからなんて言われるか」といったことが、基本的には行動に影響を及ぼさない。

そんな私たちなので、出産・子育てをするからといって「じゃあ法律婚をしないとね」と思わなければいけない理由は特にないようだ。


(法律婚をしていないことで、「どちらかが事故にあったり急病になったときに病院で面会を拒否される可能性がある」とか「お互いの年金の受取人になるには手続きが必要になる」などの細かいデメリットは考えられる。
けれどそれらは契約や手続きでだいたい解決できそうだった)


唯一の気がかりは「籍を入れていない夫婦の場合、その二人の間に生まれた子の親権を父親は持てない」という点で、それだけは彼にとってネックなようだった。
「僕も親権は持ちたい」と。

でもほかの点では、法律婚をしないことで生じるデメリットはとくに見当たらない。


それでも事実婚にモヤモヤする

事実婚でも法律婚のように貞操義務は生じるし、どちらかが浮気をして別れるようなことになったら慰謝料も取れるし、財産分与の権利もある。

事実婚を選んだとしても実際には法律婚をしたのに近い状態になるということだ。
また「不安な点がほかにあれば、それをカバーする契約書を作ろう」とも彼は言ってくれた。

それでも私の中にはまだスッキリしないものが、ちいさな不満となって残っていた。

この不満の正体は、なんなのだろう。

事実婚だとしても、二人のあいだにはちゃんとさまざまな権利や義務が発生するのに。
それでも安心できなかったら、さらに契約を結んで法律婚同等の義務と権利を負ってもらうことができるのに。

だけれど、たとえ独自の契約を結ぶことにしたとしても、私の中の不満がすっかり解消されるとは思えない。
この不満はどうやら、契約でカバーできるものではないようだ。


どうして事実婚にもやっとしてしまうのだろう。

「どんな人からもちゃんと『夫婦』とみなされる形を取りたい?」

「事実婚ではロマンチックさが足りない?」

「どこかで自分のことを『この人となら結婚してもいいと思わせることができなかった残念な女性』と思いつづけそう?


……どれも、そうといえばそうなんだろうけど、決定的な理由ではない気がした。
決定的な理由にあたるものは、これらではないだろうと思えた。


フランスとの比較で見えてきたもの


事実婚というテーマでよく話題にのぼる国、フランスを思い浮かべる。

かの国では法律婚より事実婚をとるカップルが多いという。
子どもの有無にかかわらず、事実婚を選ぶ夫婦の方が多いのだ。
それは法律婚にも事実婚同等の権利や保証が認められているからというのが大きい理由なのだと思う。


では、もし日本もそうだったとして。
日本でもフランスと同じように、事実婚でも法律婚の夫婦とあらゆる面で完全に同等の権利を享受できるとして。

だから「事実婚がいいね!」となるかといったら、私の場合、あまりならなそうなのだ。


そこで、はたと思い当たったことがあった。

フランスの男女には「生涯恋愛現役」というイメージがある。
いくつになっても恋愛がさかんな点において、日本などとは比較にならない国だろうと思う。


老いも若きも、生きている限り恋愛を楽しむことが当たり前。
そこには「もう◯歳だから恋愛市場からは撤退」という発想がなさそうな感じ。


結婚しても子どもができても、つねに次の恋愛の可能性も捨てないアムールの国、フランス。

そこでは、わざわざ法律婚をしてのちの婚姻関係解消を面倒なものとするよりも、夫婦が互いに「つぎの恋愛や結婚生活」に移行しやすい事実婚のほうがフレキシブルで都合がいい、ということなのではないか。

「死ぬまでずっと同じ人を愛しつづけ、パートナーでいつづける」という誓いは、ロマンチックではあるけれど現実的ではない。


フランスで事実婚というフレキシブルな婚姻関係を選ぶ男女が多い背景にはもちろん、別れてシングルマザーになったとしても女性が経済的に自立していられる環境が整っていることも大きいはず。
経済的な不安で離婚に踏み切れない女性も多い日本とは違う。


けれどもやはり、フランスでは「一度結婚したら恋愛市場からは退く」という意識がうすいことが、法律婚よりも事実婚を選ぶ人たちが多い大きな理由なのではないだろうか。
そんな想像が私をとらえてしまった。

それと同時に、ショックなことに気づいた。


私は「いい女」じゃないのかもしれない


そのショックなことというのは、「いつまでも恋愛市場で輝くことは私には無理だろう」という、あんまりかっこよくない本音。
正直なところこんな考えが自分のなかにあるなんて認めたくなかった。

だって、私のイメージする「いい女」はこんな考えとは無縁の女性なのだもの。

「いい女」像はいろいろあれど、年齢という概念からまったくもって自由に生きている、というのは私にとってその一つだ。
そんな女性はもちろん「いつまでも恋愛市場で輝くだなんて、私にはちょっとね……」などは思わなそう。

だけど、私は思ってしまっている。
これは本音なのだから仕方ない。


「40歳とか50歳になっても女として見てもらえるか」
「歳をとっても異性の目に魅力的に映る自分でいられるか」
ということに、絶対の自信がないのだ。


男性の場合40代50代でも、うんと年下の若い女性と結婚する人は(なぜか)たくさんいる。
でもその逆パターンには滅多にお目にかかれない。

男性が年上のパターンの年の差カップルはさほど話題にならないし、おじさんと若い女性の組み合わせはよく見かけるから誰も大して気にもとめない。

だけど反対に、女性が年上の場合はなにかと目立つ。
いちいち目立ってしまうとは、それほどに珍しい現象だというなによりの証。


私は自分のことをこれまで、日本の常識や社会における「当たり前」からは結構自由だと自負していた。

けれどかなしいかな、そんな私にも「男性は若い女の人が好き」「中年になっても女としてチヤホヤされるのはむずかしい」という思い込みがあったのだ。(とても残念だけど……)

無意識に私はこう思っていたらしい。

「いつまでも魅力的な女性として恋愛をし、パートナーを見つけられる。そんな自分でいられるかどうかはわからない。
ましてやこれから子どもが生まれて母になる身だというのに」と。

(↑ここで「『子持ち女性』という設定はモテない」という思い込みにも気づく)

そして、だから法律婚をしておきたい、
そうすることで一応でも「女として恋愛市場で輝きつづけなければ」というプレッシャーを感じなくてもいい状態でいたい、というのが、見栄もプライドも捨て去った本心なのかもしれない。

結局私が事実婚にモヤモヤしていた理由は、ここなのではないかと思う。

「なあんだ、『常識にとらわれない女』を標榜してかっこつけてたって私にも保守的なところがあるんじゃない」と思ってがっかりしなくもなかったけど、
「まあお腹に子どもがいるんだから守りの姿勢に入るのは自然なことだよね」と納得することにした。

「恋愛現役年齢」にリミットを感じてしまうこと。

これは男性より圧倒的に女性のほうが多いように思う。
(「ボクは生涯現役です、心はいつまでも少年です☆」と言ってはばからない無邪気なオジサン、多いよな〜とずっと思っている私。) 

日本の男性たちが年上女性の成熟した魅力を認められるようになり、
日本の女性たちも歳を重ねることに悲観的にならない限り、この国に生きる女性が「法律婚」を求める心はなくならないのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?