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隣の奥さんに説教されて氣づいたこと

昨日の朝、隣の奥さんが怖い顔して、我が家の玄関に立っていた。

内容は、うちの子に余計な話を吹き込まないでほしいというものだった。

こういうふうに書くと、確かに、と思う。

彼女は本気で私を怒った。

我が子を守るために。

私としては、隣の子供が困っているように見えたので、助言したつもりだった。

でも、余計なお世話だったらしい。

「あんた、大人のくせにそんなことも分からないの?」

強い口調でなじられた。

私はごめんなさい、ごめんなさい、としか言えなかった。

彼女の怒りはおさまなかった。

私をひたすら罵倒した。

批判の矛先は私の親にまで向かった。

「50にもなって、そんなことも分からないなんて、お母さんにちゃんと教えてもらわないからだ。

うちの子に変なこと言わないでほしい。」

彼女は私を完全に否定された。

泣いて反省しても、なかなか話は終わらなかった。

結局、言いたいことを言ってスッキリした彼女が解放してくれたのは、私と顔を合わせてから20分後だった。


どうしてこのような現実は起こったのだろうか?


ひとしきり泣いて、自分を責めまくってから、瞑想した。

そうしたら、冷静になって考えることができた。

蒔いた種は刈り取る。

自分がやったことは違う形で返ってくる、という法則。

私が、過去誰かに彼女と同じことをしたから、私に返ってきたのだ。

だとしたら、誰かが私に良かれと思ってしてくれたことを、否定したことは無かっただろうか?


……あった。


私は母を完全に否定したのだ。


母のことは好きだ。

ただ、母の考え方を押し付けられている感じがして、ずっと息苦しかった。

母の言うことを聞く代わりに、私は経済的支援を受けてきたのだ。

19歳に統合失調症になり、以来47歳まで向精神薬を飲んでいた。

その後薬を卒業しても、「あんたは駄目な人間なんだから、私の言う事を聞きなさい。」という圧力に悩まされてきた。

無言な圧力だけでなく、言葉でもはっきり言われてきた。

何か失敗すると、「ほーら、やっぱり。だから言わんこっちゃない。私の言う事を聞いてないからだ。」と言われた。

だから、諦めて母の言う事を聞くようにしていた。

でも、とにかく苦しい。

お金には困らないが、束縛されていた。

母の「正しさ」にがんじがらめにされていた感じだった。

結局、私は母からの支援を受け取ることを止めた。

自分の力で生きる道を選んだ。


でも、選んだ途端、隣の奥さんに凄い剣幕で怒られるという現実が起こった。

それは私が、母が私に対して良かれと思ってやってきたことを、否定したから。

母の言うとおりの生き方をするのではなく、母を肯定する形はないのだろうか?


私が母と望む関係は、

「私がいなくても、大丈夫ね。なんとか生きていけそうね。」

と安心してもらうこと。


怪我して働けなくなって、無職になったパートナーと二人で踊るダンスを見てもらって、

「こんなポンコツな二人だけど、助け合って生きていきます。」

という姿を見てもらうこと。


どうやったら、そうなるか分からない。

でも、そういう現実が起こることを、宇宙にオーダーしておこう。

一日経った今、私は母を否定していないことに氣がついた。

だからきっと大丈夫。



読んでくださり、ありがとう。

心からの感謝を込めて。





 

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