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見えない世界の「わからない」はおもしろい

母です

皆さんは「今」とは何かを考えたことがあるだろうか

1つの身体を持って生まれてきて、その中身には一体何が詰まっているのだろう
私はずっとそれを疑問に思ってきた

小さな頃、「身体のしくみ」の本に感動して、人の身体はこうなっているのだとビジュアルと言葉で知ったとき、骨、筋肉、臓器、血液などで成っている身体が面白いと思った

小学生の頃、初めて人を好きになった時に、自分の中にはあの人体図では描けない“何か”があると思った 

手に取ったり絵に描いたりできないような“何か”の存在が私の中にあるのだと思った 

人体はしくみだけでなく、動的イメージというものがあるような気がした。そうでないと、あの好きな人を前にしたドキドキ感や、なにかが湧いてくるような不思議な感覚の説明がつかないと思った

中学生の頃、遺伝という仕組みに夢中になった
私たちはDNAである染色体の“組み合わせ”であり、その通りに身体は作られていく。

でも、1/2の確率で“女”として生まれたことに対して、ただ「偶然」として片付けることが合っているのかを疑問に思った。

私はたまたまこの遺伝子を持って、偶然この身体を持って生まれたのだろうか
本当に“女”で生まれたことに何も意味がないのだろうか。

高校生の頃、確か、ドイツの人体解剖の標本イベントがあり、私はそれをたまたま電車の広告で知った

亡くなった方が献体として研究のために自分の体を後世に与えてくれた、その貴重な体がそのまま、または臓器のみ出して展示されているというものだった

初めて本物の“脳”を両手でつかみ、触り、両手で持ち上げた。人体の神秘を目の当たりにして、人間の神経系の全権を持つこの脳は司令塔ではあっても、やっぱり、心はここにはなく、魂と言われるものもまた別なのではないかと、そう何の根拠もなくぼんやりと思った

そして、なんとも繊細な身体のつくりや不可思議な形の臓器たちをみて、この身体を持っているのは奇跡なのではないか、何か見えないすごいものの「手」による創造物に思えた 私たちの中には人智を超えた何かがあるのではないだろうか

そう思ったのだ

私たちを今構成しているのは、偶然だろうか
私たちには、何かが刻まれて生まれているのではないだろうか
この身体も、心も、親も、出会う人たちも、全部本当に偶然なのだろうか

心ってなんだろう

記憶ってなんだろう

偶然ってなんだろう

私の中の自分に関する「分からない」がぐるぐるして、人間とはいかに「分からない」生命体なのであろうと思う

私たちは偶然、女であり男なのだろうか
私たちはたまたま、この体で生まれ、この肌の色と髪、目などのパーツをもち、この親の元で生まれ、兄弟姉妹がたまたまいて、
今出会った人たちもたまたま一緒になったのだろうか

本当にその因果関係は、“なにもない”のだろうか

なぜこの人と出会い、
この仕事を選び、
この場所に住み、

今、これに悩んでいるのだろうか

なぜ、今、ここ、このような
について説明できる人がいるだろうか

仮説は立てることができても、誰も証明できないというのが真実ではないだろうか

要は分からない。ということなのだと思う

だからこそ、私たち人間は古代からその生きる意味を知りたいと思い、
私は何者なのか
生存、存在していることに対して、何をするためという目的があって生きているのか、それとも意味や目的などないのか

生きているということに意味はあるのか
人と出会うことには意味があるのか
その答えを知りたくて、議論し続け、いろんなツールが生み出され、考え続けられてきた

私たちは、一人一人が、なぜ今悩み、今なぜこれをやりたいと思い、今なぜここに住まうことになったのか
それすらも、考え始めたら、うぎゃーーっとなりそうなほど、とても難しすぎて説明ができない

私は時折、過去生映画を楽しんだり、見えない何かが見えてしまったり、時には何かから教えてもらうみたいこともあったりする

その度に、やはりみえない“意図”やみえない“因果関係”があるのではないだろうかと思うのだ。そうでないと逆に説明がつかないような不思議なことの方が「命」や「人生」には多いような気すらしてしまう

それは全てあなたの脳の処理の問題で、あなたの勝手な脳の妄想や思考であって、見えない世界などないと断言する人がいたら
別に否定する気もなくて、そうなのかもしれないなあと思う
もしそれが真実なら、それはそれでなにかスッキリするではないか!


目に見えるものと、目に見えないもの、
どちらが多くこの世の中にあるか、それは明らかに見えないものの方が断然に多い

ただでさえ、距離で言えば、目で目視できる範囲しか私達は距離的に見えずまあ大したことない上に、小さいものも対しても私達は案外、見えないものだ
波長で言えば可視光線などびっくりするほどほんのちょっとのものしか見えていない

そんなわずかな視界の目に捉えたもので私達は自分の常識や指針としてつくられてしまう

私達は知っていることと、見えていること、頭で考えられる概念でしか判断できないけれど、
ちっちゃな頭と、狭いリアルな目でみたもの以外にもやっぱり“何か”があるのではないか
それが私がいつも“感じて”ることの一つだ

見えないものといえば、幽霊、おばけみたいなものはなぜか世間のネタになって言われるけれど、
それ以外にも“見えない何か”があって、大いなる流れがあって、やはり生きることには意味があって、悩みはいくつもの見えないレイヤーが重なっていて複雑化されていて、出会うことも、「今」「ここ」ですらもすべてもっともっと見えない糸がたくさん絡まってここに在るのだとしたら

理論や理屈、既存の知識や頭で考えうる可能性も大事だけれど、

「わかからない」という未知なこと、想像を遥かに超えたもの、その存在を認めることができたなら
自分の中の何かかが変わっていくよう気がします

「わからない」ことで世界はあふれていて、「信じられない」ことは実際に毎日起きており、
「ありえない」と大昔に思われていたことは現代の常識になっているような

見えない世界、見えない情報というのは、おそらくスピリチュアルとか、霊とか、それ以上にもっともっといろんなことが絡み合っているのではなだろうか

「わからない」「ありえない」を受け入れてみると、コチコチに凝り固まってしまっていた何かが緩むような、そんな「見えない部分」が変化するような気がする!

結局、目に見える変化というのはほんのわずかでしかなくて、目に見えないところの変化というのがいかに人間に影響しているのかということと同じではないだろうか

お腹の中ですら自分で見えない私達の身体と、どこにあるのかもわからない心

見えないものに支えられて、過去生からの何かがあったり、大いなるものに仕組まれているように実は流されるように生きていたり、人間ってわからないことばかり

でも、そんな「わからない」も、わからないで良くて、
わからないから知ろうとして、知ってもわからないは変わらなくて。

と、いつも堂々巡りしているけど、「そんなのあるわけないじゃん」って自分の見えている視野、社会の常識だけですべてシャットダウンするよりも、何かおもしろいことが起きそうだし、やはり見えないところから人は何かが変わっていくのだろう・・

そんな見えない世界にわくわくして、何が変わるのか分からないけど、何かが変わる
そんな不思議な世界を扱っているのだと思う

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