見出し画像

織と染の"結城紬"を訪ねて。


「若いうちはやわらかもの、
歳を取ったら紬を着なさい。」

今回は、そんな着物の格言のある紬の話。
日本三大紬のひとつ、
茨城県結城市の“結城紬”を訪ねて。

結城紬の情報はあるものの、
現地のどこでどんなことができるかの
情報は少ない。

まずは現地に行ってみる。
はじめに行った場所は”紬の里”。

織機が並ぶ写真を見て、
ここでなら職人さんの手仕事を見ながら
いろいろお話を聞けるのではないかと
思ったのだ。

訪ねてみると、工房のようになっており、
カラフルな糸や織機が並ぶ。

入ってすぐ手前には
藍染の染め場があり、
結城紬ができるまでの一連の流れが
図解で載っている。

しかし、ここは体験専門とのこと。
予約制でコースターやショール作りが
できるという。

結城紬は分業体制で、
工房、体験、販売、資料館などは
それぞれの別の人や施設が担当する。

以前訪ねた京都の黒谷和紙は、
1人の職人さんが生産から販売までを
1人で行っていた。

産業の大きさや地域、手仕事によっても
体制が変わるのが面白い。

"瀬戸物"の街、
愛知県瀬戸市を訪ねたときにもそうだったが、
職人さんが作業に集中できるよう
工房を一般開放はせずに、
体験、販売、工房を分けている地域が
結構ある。

個人的には、職人さんの作業を
のぞかせてくれ、工程の解説を聞き、
工房の横で職人さんの奥さんやお母さんなどが
販売していてのんびりお話を聞かせてくれるような場所が好きだ。

しかし、お仕事のじゃまにはならないようにしたいし、
工房ごとのやり方や考え方があるのだろう。

紬の里で結城紬の生地を見てみる。
肩肘張らず、寄り添ってくれるような生地。

揺らぎと微妙な色の違いからくる風合いは
糸を先に染めているからこそのもの。
ああ、好きだな、と感じた。

奥に少しお土産販売もあるとのことで
見せていただく。
可愛らしい小物が並んでいる。

結城紬の着物は高級品。
この結城紬の布が手に届く
買いやすいお土産雑貨となり、
ティッシュケースやコースター、
ポーチ、クッションカバーなどになっている。

手仕事の土産はどこを回ってみても、
その地域の手仕事のよさを活かせず、
最終的に同じような形になってしまうことに
口惜しい気持ちになる。

大衆への入口として
価格帯や用途を考えると
仕方がないのも山々であるが、

もっとその地域と素材と
その手仕事ならではのよさを活かせるような
最終的な形で届けられたら。

この布は、この紙は、この土地は、
ここに住む人々は、この風土と文化は
どんな特徴があるのか。

ストーリーだけが膨らみ
最終的な形が同じようなものではなく
そのものの良さも活かせるモノ。

自分なりに考えて
各地の手仕事を見に行くことで
アイディアを蓄積させていく。

結城紬は、ネクタイも置いていた。

各地の布の手仕事を活かすのに
ネクタイなんて素敵なのでは、と
ひそかに目を付けていたアイテム。

ポーチより単価は高く、
こだわりが光る。
女性メインの雑貨や手仕事の市場に
男性にも来てもらえる。

シーンやスーツ、
コーディネートやTPOに合わせた
素材感や色や柄。

健康やお祝い、昇進や新生活、
新しい命や自然、感謝。

生地の紋様の意味と、プレゼントの
シチュエーションをリンクさせたら
素敵ではないか。

そんなワクワクするアイディアが膨らむ。


お店の方が地機織りを
実践しているところを教えてくれる。

あいにく火曜日は定休日の場所が多く、
今日やっているのは
“本場結城紬 郷土館”と
”結城市観光物産センター”とのこと。

さっそく本場結城紬郷土館へと向かう。

1階では結城紬の歴史や織機、着物の展示、
2階では実演もやっている。

2階に上がると、2人の女性が
地機織りをされていた。

ちょうど織り終わるところで、
織っているところじゃなくてごめんね、と
やさしく今やっている最後の工程と
結城紬のことを教えてくれる。

結城紬の一番の特徴を聞くと、
軽くて温かいという。

無形文化財の結城紬に登録されるには
3つの工程の使用が条件。

1つ目は、手でひねらず糸を紡ぐ「糸つむぎ」
2つ目は、糸を染色するときに
柄をあらかじめ設計し、
染まらない部分を糸でしばる「絣(かすり)くくり」
3つ目は、地機織りという全身を使う「織」。

その中で気になる工程があった。
糸を紡ぐ際に、蚕から直接ピーと
引き出してひねるのではなく、
一度すべて綿にしてからひねらず紡ぐところ。

これにより、空気をたくさん含んだ糸になり、
先ほどの軽くて温かい結城紬の特徴に繋がる。

一番特徴つけている
ここの綿にする工程はそのまま残し、
それ以外は機会を導入すれば
よさが活きた生地を安く量産もできそうだ、と
考えてみたり。

色付きの地のデザインなら
先に糸を染める工程が活躍するが、
白地の場合は無形文化財の条件の2つ目の
絣(かすり)くびりが不要になる。

また、織も地機織りではなく
機械や足踏み式の織機などを使ったものなど、
結城紬ではあるが無形文化財には認定されないものなど
厳密には違うものがある。

それらを見分けるための
工程の証書がたくさんついているのも
興味深い。

手前で織をされていた女性は、
4年目になるという。

白と黒の糸を2本ずつ織り、
小さな格子模様の生地を織っていて、
近くでみてみな、とのぞかせてくださる。
とても繊細で表情豊かな生地である。

わあ、すごいですね、というと、
もう一人の方はもっとベテランで、
もっと難しい柄も織っているのよ。
と柔らかく謙虚に教えてくれる。

なんと、その女性は15年目も織られているという。
今織っている柄は「ぐの目十字」という
結城紬の中でベーシックな人気の柄。

近くでみると、
染色された縦糸と横糸が
交わって十字の柄になっている。

染色の段階で事前に設計されているという緻密さ。

これがずれないように、
糸を一本ずつ針ですくい上げたり、
引っ張ったり微調整をする。

柄になる部分を染めてある糸を使うので、
少しずれるとそれ以降もすべてずれてしまう。

途中で千切れてしまった糸を補正したり、
毛羽立ちの目立つところを
一つ一つカットする。

その後、機械に張ってある縦糸に
のり付けの作業。

途方のないような繊細な職人技。
1つ1つ、丁寧に手をかけて糸と
生地を育てるよう。

そんな作業の工程の様子が、
昔本で読んだすべて手作業で行う
米作りを思い起こさせる。

そしてようやく織れる。
全身を使って織る地機織り。

腰に糸を張る道具を回し、
足をピンとはり
腹の前に織れた布を巻き付けていく。

布と織機と人が
一体化したひとつの有機物のような
静かな朴訥さが宿っている光景。

その横でこどもたち2人は賑やかに
ロープで縄跳びをしている。
職人の女性のお孫さんのようである。

縄跳びに飽きると次は
椅子に縄をくくりつけて罠にして
飛び越えている。

円柱型の紙箱に
トイレットペーパーの芯と
チラシをちぎっていれ
シチューに見立てたおままごと。

牧と火はティッシュ箱。

いとこにもらったマカロンの消しゴムも
具材に入っている。
この三角の具材は何かと聞くと、
それは小籠包という。

こどもの創造力に舌を巻く。

6歳くらいの下の子は楽しくなり、
シチューを箱ごと天にぶちまける。

それをお兄ちゃんと妹と私の3人で拾う。
それが楽しくて、弟はまたぶちまける。

エスカレートし、
シチューが織機の方に飛んでいきそうになり
妹が全力で弟をホールド。

おそらく妹も初対面の人の子を
全力で抱えて抑え込んだのは
初めてだろう。

元気で賑やかなこども達と
静かで緻密な機織りが、
少し離れては少し交わるを繰り返す。

先ほどの工程のお話を反芻する。
どうして一度綿にするのか。
そこが引っかかる。

聞くと、昔はくずまゆと呼ばれた
真っ直ぐに糸が引き出せなかったり
汚れてしまったまゆを使ったからだと思うとのこと。

いい蚕は機械や工場でガンガンつむぎ、
使えなかったくずまゆを使ったのが始まり。

なぜくずまゆを使うようになったのか。
なぜこの地域で紬が栄えたのか。

家に帰って詳しく調べてみる。

◇◇◇◇

養蚕が盛んな地域の特徴は
すぐには出てこなかった。
いろいろ調べて行くと
蚕のエサになる桑の栽培が関わっていた。

桑は日本で育ちやすい。
栃木、茨城、埼玉の稲作に不向きな土地で
桑が栽培され、この地域で結城紬が発展していく。

結城紬の原型は奈良時代にさかのぼる。
はじめは生糸にできないくずまゆを
自分たちの普段着として
一度綿にしてから織っていたもの。

それが鎌倉時代に質素な見た目と
丈夫さから関東の武士に好まれ
結城地方で生産が盛んに。

江戸時代には幕府などに献上。
改良も加えられ当時の百科事典に
最上品の紬として紹介されていたとか。

現在はくずまゆではなく
いい繭で生産されている。

現在の結城紬が高級品であるのに
カジュアルな普段着に最適であるという
不思議が解明。

桑は日本各地で育つため
各地で養蚕はされていたが、
内需を補うには足りなく
中国から安い生糸を大量に輸入していた。

銀の流出を防ぐために
国内でも生糸を作ろうと江戸幕府が推奨する。

江戸末期、鎖国が終わり
当時の日本の最大輸出品は生糸に。

ヨーロッパで蚕の伝染病が流行り
日本の生糸の輸出が急増。

その結果、質の悪い生糸がつくられるようになり、
イギリスやフランスから製糸工場をつくる要望が出る。

欧米列強に負けないよう、
明治政府が自国資本で製糸場を建設することに。

桑、土地、水、蚕の天敵のハエがいない厳しい環境などから
富岡が選ばれ、富岡製糸場を建設。
実家が農家で蚕桑に詳しかった
渋沢栄一が設立に関わっていた。

富岡製糸場が世界文化遺産に登録され、
渋沢栄一が1万円札のあたらしい顔に
選ばれたのは記憶に新しい。

現在のわたしたちの生活が
歴史と繋がり紐解いていくような
感覚になった。

他の紬とも比較してみる。
日本三大紬の大島紬はより繊細な柄が発展し、
生糸で生産するようになり、
ツルツルとして丈夫な紬に。

結城紬は着ていくうちに
真綿の毛羽立ちがとれ、
艶がでてきて時間をかけて育てていけ
どんどん愛着の沸くものになる。

「若いうちは柔らかもの、歳をとったら紬」
の格言は、

すべらないのでゆったり着付けても着崩れしにくく
体の線を拾いすぎずお年を召しても
着やすい着こなしができる紬の特徴が表れている。

育てて愛着のある紬を日常でカジュアルに着こなし
着物をたのしむ60代なんて素敵ではないか。

結城の地元の旅館の館内着に
結城紬が置いてある宿なんかがあるといいな、
と思ったり。

様々な風土や歴史や文化、政治と絡まりあいながら
発展し日常の中にある手仕事。

かなりのボリュームになっていくと同時に
全く別の場所の手仕事と
ふと繋がっていったりするのが面白い。

◇◇◇◇◇

家に帰る前に、もう一つ会館に寄った。
30歳くらいの女性が地機織りを実演していた。

1年の訓練所を経て、今は4か月目。
腰にくるハードな作業だという。

お土産の解説をしてくれたり、
柄物を織っている実演はここの会館、
などと教えてくれる。

とにかく人があたたかい。

4年目というおばあさんに、
4ヶ月という若い女性。
15年目というベテランの方。
いろんな世代の新しい風がまざり
地域の文化が紡がれてゆく。

いろんなまゆをほぐして一緒にし、
優しく紡がれる糸からつくられる
軽くも丈夫な温かい結城紬と
この町の人々の姿が重なった。

ーーーーーーーーーー

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

いいねや感想のコメント、
フォローお気軽にしてくださったら嬉しいです。

では、また♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?