見出し画像

世界はここにある㊻  第三部 

 ナオは元の研究所に戻され監視された。そこに高山教授と過ごした日々の暮らしはなく、幽閉に近いものだった。外界との接触は一切なく、個人として使えるデジタルな環境は全て取り上げられた。手元には数冊のペーパーバック。著名な作家の本もあったがどれも彼女が興味をもつものはない。モニターに映るのは24時間流れるニュースサイト。それでも外界がいかにくだらない世界であるかを知るのは十分な情報量であったのかも知れない。

 ナオの生体データを取り続ける日々は続いた。担当者たちはナオに個人的な心情を現さなかったが、それにしてもナオの落胆ぶりは哀れを誘うに十分であった。食はほとんどとらず医療的に栄養を与えた。会話もほとんどなく
次第に彼女は何についても無反応になっていった。もう、彼女に何を期待するのも意味の無いことを皆が気付いていた。

 ドクター・ブリュスコワは彼女の中の高山がそれをもたらしていると考えていた。彼女の頭脳は6歳にして人類のトップに位置する。その知識も能力も。しかし情緒面には子供のナオがいる。愛するものと離ればなれになった彼女の再生の方法は限られている。元の環境に戻すか、それとも…… 

「ドクター、ナオはこのままではいずれ最悪の結果を生みます。なにか対処をしなければ」
 スタッフは心理学的なアプローチを推すが、ブリュスコワは否定的だった。それは彼女が自身でその扉を閉めて堅く鍵をかけているからに他ならない。彼女が自ら扉を開け外へ出て行くきっかけが必要だ。それは愛ではないと彼は考えたのだ。

 憎悪。それに勝るものは無い。ブリュスコワはそのチャンスを探し待ち続けた。そしてそれは思わぬ形で見つかった。

「ドクター・ブリュスコワ、あの娘はどうなる? このままでは研究の成果を殆ど残すことなくサンプルを失うことになる。タカヤマが必要なら彼をヒスマンから奪う事も考えねばならん。いったいどれだけのカネをつぎ込んだか君はわかっているだろう! 私の慈悲もそう長くは続かんぞ。君も含め用の無くなったものは処分しかない。意味は分かるな? ドクター」

 チャールズ・D・ロセリストは結果の出せないブリュスコワにいら立っていた。高山はブリュスコワを不適任と言っていた。それは正しかったのかも知れない。しかしそんなことはどうでもよかった。今までのデータを有効に使う新たな研究者を探せばよい。

「チャールズ様、私の進退は一つプランを試してから改めてお伺いしたいのですが」
 ブリュスコワは電話の向こうのチャールズの機嫌も察しながらそう言った。
「それが功を奏すプランなら…… もう一人の私・・・・・・も納得させられるのか?」
「私にお任せください」
「ふっ、任せた結果が今だが…… まあ、いい。やってみろ。期待はしとらん」
「それは気が楽ですな。では近々にお目にかかるときまで」
 ブリュスコワは自身も決断をしていた。自分の判断は最適解であると。

 ブリュスコワはロセリスト財閥で先端の研究職でありながら、母国ロシアのスパイであり続けている。そして彼は野望を持つベラギー王国のポール・ヴュータンと隠れた繋がりがあり、ポールはロセリストと敵対するヒスマン家に仕えている。歴史的、財政的にロシアに支配的なヒスマン家にクレムリンは反抗の機を常に窺っている。大ロシアの名を取り戻したい。それがクレムリンの望みだ。ブリュスコワは研究成果を密かにロシアへ流している。ロシアは中国と手を結び生物兵器への応用を模索していた。一方、ポールはもう一段上を目指していた。それはヒスマン家を利用しての自身の影響力を拡大することだった。そのためにベラギー王国への絶対服従を表し、フラクタルの技術を利用してロセイストに一歩先んじる。そして東側への影響力も併せ手に入れる。そのためにロシアとも中国とも関係を深めた。

 それぞれが世界を手にしようと暗躍するなかにナオは一人扉を堅くとじている。それをポールから得た情報でブリュスコワはこじ開けた。

「ナオ、今日は君に聞いてもらいたいことがある」
 ブリュスコワはベットで無反応なナオに語りかけた。言葉を聞きとっているのはわかる。繋げられたモニターがそれを証明していた。
「私の友人から連絡があった。ドクター・タカヤマは元気だそうだ」
 高山の名を聞いて、ナオは閉じていた目を開いた。そしてブリュスコワに視線を投げる。

「ナオ、これからする話は君にはショックだろうが、私は君の将来の為にこのことを伝えようと決心した。君は事実を論理的に分析し判断してほしい。情は君を破壊する。そんなことに君の頭脳を疲弊させてはいけない。いいかね」
 ブリュスコワの言葉にナオは一度目を閉じ、そして再びブリュスコワを見た。

「ドクター・タカヤマがまたクローンを誕生させた。ベラギー王国のロイ王子のクローンだ。ロイは重大な疾患を持っていた。その治療の為だそうだ」
 ナオは少し驚いたような表情をしたが、黙ったまま耳を傾ける。
「だが、ドクター・タカヤマはそのクローンを手放した。そのクローンが生み出すフラクタルのサンプルをロシアに売ったということだ」
 ブリュスコワがそう言うとナオは固く目を閉じた。そして両の拳を握りしめ身体を強張らせた。
「とても残念な話だし、君にとっては私が想像する以上に苦痛を感じることだと思う。しかし、君はやらなければならないことができたんだ。君は成長し、そのクローンの子を助けなければならない。そしてフラクタルが真に人類の為に役立つ研究であることを証明しなければならない。君の頭脳はそれを可能にする。わかるね。タカヤマはもう、昔のタカヤマではない。君がすべてを正さねばならないんだよ」

 ブリュスコワは静かにそう話した。

 ナオの目尻から涙が伝った。ブリュスコワはそれを見て部屋を後にした。

 翌朝、オフィスでコーヒーを飲むブリュスコワに助手から内線が入る。
「ドクター、すぐに来てください。ナオがいません!」
「何? すぐに探せ!」
 ブリュスコワは飛び出し研究棟へ続くガラス張りの廊下を走る。くそ、失敗だったか? 彼女は怒りより哀しみにとらわれすぎていたのか? 走るブリュスコワの眼の端に中庭にたつ少女を捉えた。

 ナオだった。彼女は素足で芝が張るその地にしっかりと立ち、そして空を見上げていた。不安も哀しみをも超えた凛とした美しささえ感じる表情が見て取れる。思わず見つめるブリュスコワを感じたかのようにナオはガラス越しの彼を見た。それはあの日、高山教授を見つめた眼差しではなかった。決断をした戦士の眼。ブリュスコワはガラス越しの彼女に些少ではない恐怖を感じた。

 世界はそこに住む大多数の人間が何も知らぬ間に変わろうとしていた。世界を二分する陰の支配者たち。ロセリスト家とヒスマン家はそれぞれが新しい臣民を作り出し、そして抵抗する者たちを滅ぼすための武器を作るための準備を始めている。

 ナオは、その恐ろしいまでの頭脳でチャールズの望みをかなえるべく動き始めていた。そして高山の研究のほぼすべてを8歳にしてマスターし、自身をも管理できるまでに成長していた。チャールズの信任を勝ち取ったナオは秘密組織である「ダヴァース」を任される。彼女は情報戦のみならず武力による実行部隊をも指揮し世界の裏で暗躍する組織に成長させ、その実力は米国CIAに匹敵しうるものまでになっていた。

 一方ヒスマンはロイのクローンである「ヤン」を利用し生物兵器の開発に取り組もうとしていた。ヒスマンの野望はロセリストを打ち負かすことにある。真の世界の盟主はヒスマンにあるべきと信じて疑わない。

 彼らは巧妙にロセリストに対した。表向きは西側陣営の一翼を担い、経済の面においては米国に歩調を合わせるなどしてロセリストにも協調をみせた。一年に一度スイスで行われる世界の指導者層が集まる会議ではロセリストと情報も共有していた。それには「ヤン」と「ナオ」が含まれていた。

 しかしヒスマンは裏でロシア、中国と通じている。それはヤンがもたらすものにほかならず、両国に軍事利用として研究を進めさせるものだった。
ロセリストがナオという少女個人を評価し利用したのに対して、ヒスマンはその技術の応用を進めた。軍事的バランスは崩れていきつつあった。むろん高山とフランツはそのことを知る由もない。フランツはロイの成長を願っていたし高山はナオとヤンの無事な成長を願っていた。

 事態が大きく動いたのは一つの事故だった。中国奥地の秘密施設の実験棟で使われた実験動物が誤って外部と接触してしまったのだ。その動物は人に感染するウィルスを持ち、そしてフラクタルの技術により爆発的感染を短時間に可能にする特性をもっていた。

 世界はパンデミックの恐怖に慄く。その陰でこれを好機にすべしとロセリストとヒスマンが、大国が動き出した。そして拡散されるニュースには世界を、人類を救うと声高に叫ぶ世界のトップたちの顔が毎日のように登場していた。

 

 ㊼へ続く
 


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

BLOODY MARY LADY GAGA


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙    世界はここにある㊴
世界はここにある㉚    世界はここにある㊵

世界はここにある㊶
世界はここにある㊷
世界はここにある㊸
世界はここにある㊹
世界はここにある㊺


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?