人間は災起きて人間がなくなる姿みては悲しむ。
そして“なぜこんなことが起きるのか”。“なぜこんなことをするのか”。“お願いやめて”。“苦しめないで”。
沢山の悲しい気持ち。
沢山の悔しい気持ち。
沢山の沢山の………

人間は地球で起きて日常の中で当たり前のように己を無くしても泣いて悲しまない。仕方ないといい己をころす。そしてあげくの果てには他者にさえも、他者の個を祝福と希望で見ずに個を無くしころす。それが日常茶飯事。天はいう…
“なぜそんなことばかり起こすのか”。“なぜそんなことばかりするのか”。“お願いだ。やめてくれ”。“苦しまないで”。“苦しめないで”。
天は愛していた。在ることは悦びのはずだ。
災が起きたら人間は人間を想う。
災が無い日々人間は人間を雑に扱う。
災が起きたら人間は当たり前だったものを想う。
災が無い日々人間は無いものに目を向ける。
災が起きたら人間は存在する尊さを知る。
災が無い日々人間は存在に不満不安を見る。
何もないという全てが在る状態で人間というのは、悦び祝福、希望、夢、愛、感謝、想いは雑に扱う。全てが在る時に雑に生きるのは何故だ。
その時その瞬間を大切に想い生きるなどせずに
理由をつけては雑に扱うその日常茶飯事。
災。天からうみでた魂。魂宿った人間。1つ1つの人間がうみだし創り出した現れが地球で起こる。
ただそれだけ。出したものが受け取るもの。
あぁどうか愛を出していたことを願う。
あぁどうか悦びを出していたことを願う。
あぁどうか希望を出していたことを願う。
あぁどうか…このけたたましい音が多くの者の祝福の音となるように。己で苦しまないで。他者を苦しめないで。赦して。認めて。悦びを見出すこと。
餓鬼は終わりじゃ。心ある人間、在る事の悦びを。

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