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ねずみ小僧 その足跡を追え!

昨日、松本市縄手通りの幸橋の上にて

「劇団エルwith長野各地の殺陣ニスト」

の、パフォーマンスが行われました。

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3回公演にも及ぶ「殺陣が中心」のショート劇大道芸。

集まってくださった方々は、みなさん

満面の笑顔で楽しまれておりました。

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来てくださった皆さま。
本当に、ありがとうございました。

感染が少しだけ緩んだ松本ではありますが、お出かけにも多少の勇気がいったと思います。でも、観に来てくれて、本当に嬉しかったです!!

全員、朝早くに集まり。抗原検査もいたしました。
これは、皆さまの安全を約束するための主催者側の配慮です。



もちろん、全員免疫力・体力が万全なため^^陰性!!
無事に出演出来ることになりました。

パフォーマンスは「ねずみ小僧」
子供の頃から憧れていた、このドラマ。
ドラマに憧れていたのか、ねずみ自身に思いがあったのかは
わかりませんが。ずっと、ずっと、いつかはこれを何とかしたい・・・っていう思いがありました。

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それが、劇団を立ち上げた日から、いろんなご縁をいただき。

あれよ!ッと言う間にFESUTA松本のボランティアへのお誘いがあり、

そして、なんなら大道芸のブースを確保しますよ♪と、いうお話を頂き。

主催者の串田様にご紹介頂き。

この流れは、あれよ!ッと言う間の決定でした。

そして、昨日が、本番でした。

7月の始めにボランティアのお話しをお聞きし、即答。

パフォーマンスの方も団員に声かけ、

結局、色々あって。


チラシ完成

エルにとっての初舞台ですから、ぬかりなく成功させたい。

今回は、大道芸という通りで行うストリート・パフォーマンス。

団員でもあるフリー俳優#千葉ミハルにまず話しました。

「私、昔”女ねずみ小僧”に憧れてて、、」

これやらない?と持ちかけました。

ミハルは私の娘と同じくらい若い俳優。

たぶん、昔過ぎてわからないかも?と。

動画も送って「こんなのがやりたい」と、持ちかけたのです。

ノリが良くて行動力もあるミハル。

「いいじゃないですか。やりましょう!」

直ぐに乗ってくれました。


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産後からあまり稽古をしてないというミハルに火がつき!!

立ち回りは体力勝負の面もありますしね。

段々に勘が戻ってきたようでした。

それからまず、殺陣のお稽古風景を見学させていただきました。

その迫力と凄さに胸がキュンキュン💗しました。

これだ!すごい!

これを観客が側で生で観たら、絶対興奮ものだよな♪


そして、脚本を書きました。わずか、あっという間の15分弱ですが。

「女ねずみ小僧L」エルは女性の劇団ですが、

客演は男性もありとしました。

ただ、各々の事情もあり、うちから参加出来るのは2人。

人数も減り、台本の改訂と演出をミハルにお任せすることにしました。

『ねずみ小僧』

なぜ、こんなにもこれをやりたいって思っていたのか。

それがわかったのが前日の夜。

本番前日だなんて(;'∀')

鼠小僧(ねずみこぞう、寛政9年(1797年) - 天保3年8月19日(1832年9月13日))は、江戸時代後期(化政期)の盗賊。本名は次郎吉(じろきち)

現実に存在していた盗人です。

結局は賭博のための盗みを続け、最後には捉えられて処刑されて

しまうのだけど。

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ミハルの声かけで、集まった殺陣ニストの面々。プラス劇団エルの友紀はんと。ミハルと。

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次郎吉は、昭和の映画やドラマにあるように、大名屋敷から盗んだ小判を、

貧しい人に配ったと、人気があり。なかなか捕まらなかったので、ご利益もありと親しまれていたらしい。(どういうご利益?(笑))


そのお墓が、なんと両国の回向院というお寺にあるって、知って。。

呼吸が止まった💦

ねずみ小僧墓石

写真・ねずみ小僧の墓

前にある石を削って持ち帰る人がいるとか。

本当に、なんのご利益なんでしょうか?

吉田松陰墓

吉田松陰の元お墓もあるんだそうです。

回向院と言えば、母方家のお墓があるお寺。(今は市川に移してるけれど)

母は両国生まれで、その当時には珍しく、幼稚園に通ってたちょっとお金がある家庭だったらしいのです。祖父は縫製工場の社長で、たくさんの工員を抱えていたと。子供の頃から聞いていました。

当日の朝、母にねずみ小僧の話をしたら。

「そうそう、あの赤い門をくぐるとね。ねずみ小僧の墓があって、

毎日そこを通ってたわよ」 と、言う。

鳥肌がたった。やはりそうなんだ。。

この辺りに処刑場があったらしく、それは母は知りませんが。

毎日通るのに怖くなかったのかな。。。

話を元に戻します。

そんなイワクつきのお話し。罪人次郎吉。

その罪人がスターになった後世。

複雑な思いだけど、この話をあらためて世に出せと上から降って来たというのには、何か意味があるんでしょうね。

そして、本番。

ぜったい成功、大盛況を感じました。

だって、祖父たちがインスピレーションを送り、成功を助けてくれてると信頼してるから。母の旧家の地元で繰り広げられた本当に実在した次郎吉のお話し。

天気予報は、雨から曇りへ。

でも、晴れた!! きっとみんなの思いが通じたのでしょう!縄手はこの日、いろんな場所でたくさんのパフォーマーたちが参加してましたから。

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舞台は、縄手の幸橋。名前もいい。

変顔の皆(笑) 楽しいキャスト。いいチームでした。

パフォーマンスもプロの姿をガチで見せてくれました。

約一名(私) 黒子で裏方。音源担当でしたが、生徒さんや友人が来てくれる

のを予想して^^ねずみ小僧になってみました(笑)

サービスです^^💗

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風が強い橋の上でしたが、風も味方に^^(キャストの一人がいいことを言っておりました) 橋は、緩やかなカーブであったし、舞台の上とはまったく違う感触であったと思います。

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凄かったなあ。やっぱりプロは違いますね。

殺陣の皆さんは、これからも、松本での活動があると思いますので

また、ぜひ観ていただきたいと思います。

今日の新聞にも載りました。

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そして、私はというと。

今回の次郎吉の伝説をもとに、いま、新しい脚本を書き始めました。

なにせ、故郷の江戸の話しですから。

もう、頭の中ではストーリが出来上がっております。

来年、どこかで披露出来たら嬉しいです。

今回は、ボランティアを通して、裏方の大変さや楽しさ、

そして、初披露として舞台を出来たこと。

本当に感謝でいっぱいです。

お話しを受けて良かった、と、心から感謝いたします。

たくさんの投げ銭。そして、差し入れ。ありがとうございました。

一同、喜びでいっぱいです。

今日も長文お読みいただき、ありがとうございました。



愛と感謝を込めて

Lisa Love💗







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