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グレーもしくはブラック、そしてホワイト

半世紀以上生きてきた、現在55歳のただのおばさん、それが私。

91歳の母と二人暮らしをしている私は、娘であり、3人の子の母であり、そしてばーばでもある。

1歳から5歳までの孫が4人もいて、かわいい孫たちの顔を見ることが何よりの癒し。

色々あったけど、今、私は幸せだ。

そんな私は家庭の経済的理由から大学進学はあきらめ、高卒で社会人となり、この歳になるまでおよそ10回ほどの転職を重ねてきた。

23歳で結婚し子供が産まれ、子の成長とともに働き方を変えるための転職ももちろんあったが、結構ハードな職場環境にいたのも事実。

そこから逃げるように退職したことのほうが多い人生だった。

今はただのおばさんだけど、それなりに色々な思いをして今まで生きてきた。

そんな話をしたいと思う。

とにかくおかしな会社ばかり

グレーやブラックな会社が多かったように思う。

中には真っ黒けなところもあったけど。

残業代がでない会社。

休みが取れない会社。

求人内容と実際の内容が違う会社。

退職者のあとの補充をしてくれない会社。

規定の休憩時間が確保できない会社。

残業するのが当たり前な会社。

社長本人からのパワハラが日常茶飯事な会社。

退職願いを提出して辞めたら損害賠償で訴えられかけた会社。

部下をかばうと上から圧力がかかる会社。

換気が悪く喘息に罹患してしまうが、なんの補償もしてくれなかった会社。

特定社員のパワハラが横行している会社。

そのパワハラを黙認する上司ばかりの会社。

ひとつの会社で重複しているものもあるけど、ザッと思い出してもコレだけ出てくる。

同僚と労基へ出向いたこともある。

それでも何ひとつ変わらなかった。

職場との出会いは『運』だと良く言われていたが、本当に私は「運がない」と心底思ったものだ。

中には素晴らしい上司に恵まれ、快適な職場もあるにはあったが、思い返すとそのほとんどは何かしら疑問の残る職場だったように思う。

そう、頭の中は常に『グレー or ブラック』。

行く先々で色んな問題に遭遇し、自分なりに努力はするが、結果悶々とした日常が続き、理想の居場所を求め転職を繰り返すのだった。

横の関係、縦の関係

何でもかんでも噛みついてきた訳ではない。

大人しく言われるがまま仕事をこなし、自分で言うのもどうかと思うが、どの職場でも優秀なほうの人材であったと思う。

自慢に聞こえるとイヤなのだが、私は周りから頼りにされやすい傾向にある。

それは上からも下からも。

頼まれるとイヤと言えない性格。

だからこそ効率よく仕事をこなしたいし、だからこそ色んなところに気付いてしまう。

前述したおかしな会社の数々。

特にパワハラ問題で言うと、原因のひとつとして考えられるのが『上層部の意識の低さ』だ。

私個人の意見ではあるが、経験上ここが一番の要因。

現場を知らない上層部。

ブラック会社に共通して言えることは、社員が長続きしないというところである。

特に若い人たちは「この会社おかしい」と思った瞬間、すぐに辞めていく。

新しい人を雇い入れても、どんどん辞めていくものだから、ずっと真面目に働いている一部の社員の負担が減らないし、むしろ新人教育という仕事がエンドレスとなる。

なぜそこまで人が辞めていくのかを、上層部の人間は考えない。

そこにどんな理由があるのかを知ろうとしない。

横の関係も大事だが、縦の関係こそ重要視しなければならないと思う。

直接、社員の生の声を聞く。

一部の人間だけでなく、全ての声を。

今何が起きていて、何が必要なのかを知る。

それが出来ている職場には希望がある。

希望があると「頑張ろう」と思える。

私が経験したある会社では、トップである社長自らハラスメントを起こしていたので、このような会社は論外ではあるけども…。

がんばりすぎる私

もうひとつ、原因を挙げるとしたら『人員不足』。

前述したように『やばい会社』は人が長続きしない。

誰かが退職して、次またすぐに募集をかけてくれる会社はまだマシなほうだ。

それがいきなり人件費云々を理由に、人を入れてくれなくなる会社もあるということ。

おかしいと思いつつ、それでも「私が頑張らないと」と踏ん張り、ひとりで無理をしてしまい、結果なんとかしてしまっていた私。

それが私のいけないところだったのかも知れない。

出来ないことは「出来ません」と言う勇気。

これが私には欠落していた。

子持ちでしかもシングルマザーの私が、しょっちゅう終電で帰っていた時期もあった。

子供たちのことは母に任せっきりだった。

まだ小さかった子供たちにも母にも、申し訳なかったと後悔している。

ひとりでなんとかしている様子を見て、直属の上司には「ひとりでも大丈夫」と思われてしまい、さらに仕事が増え負荷もかかる。

そしてまた無理をして、結果体を壊すという顛末。

体に不調が出始め、ようやく自分のキャパを超えていることに気付くバカな私。

しかもそういうことは一度や二度ではない。

今思えば「よくぶっ倒れなかったな」と思う。

ギリギリのところで何とか生き延びてきたのかも知れない。

ただぶっ倒れなかった分、とうとう『こころ』を壊してしまうのだけど。

パワハラする人、される人

ハラスメントを受けたこともあった。

ハラスメントをする人って、その人自身が闇に包まれているんだろうなって思う。

今だからそう思えるけど、色んな嫌がらせや言葉の暴力を受けている時はそんなふうには思えないし、「私のどこが間違ってるの?」「私の何がいけなかった?」ってただただ自問自答するしかないのだ。

誰とでも仲良くなれることが長所だと思っていた私にとって、生まれて初めてハラスメントを受けた時は、本当にショックだった。

陰で悪い噂話を広められたり、仕事を横取りされたり妨害されたり。

挨拶しても常に無視され、物を投げつけられたこともあった。

どこかでボタンを掛け違えたのは確かだし、私にも反省すべき点はあったのだと思う。

でもハラスメントって、決して許されるものではない。

する側の人はきっと何とも思ってなくて、ただムカつくからそういうことをするだけで、今となっては私の存在すら覚えてないかも知れない。

しかし、された側の人間は違う。

それは忘れたくても忘れられないイヤな思い出であり、それはいつまでもずっと心の中に残る消えない傷なのだから。

その結果、私は精神科通いとなってしまったのだが、本来治療をするべきは『パワハラをする人』のほうである。

そして「あなたがしていることは間違っている」と、本人に教えてあげること。

その職場では、なぜか誰もがその人たちを腫れ物に触るように扱っていた。

そして自分に被害が及ばないよう、事を大きくしないようにしていたと感じていた。

人を傷つけていい人なんて、この世にいるのだろうか。

「辞めるべきは私ではなく、あなたたちです!」

そう言えたら、どんな気持ちになったのだろう。

つらすぎる言葉

しかし私が今までで一番つらかったのは、そんなハラスメントではなくて、直接真っ向から私のことを全否定されたことだった。

しかも出会ってまだひと月も経たない人に。

それはここ最近の出来事で、パワハラを受けていた時期よりずいぶんあとで、もうすでに『こころの病』を経験したあとの話し。

自宅療養を続けそれを乗り越え、およそ2年ぶりに社会復帰した先で起きた。

その職場も募集していた内容と実際の仕事内容が違い、またまた『運のなさ』を実感するのだが、それでも意気揚々と「次こそ出直すのだ」と張り切っていた。

任されるはずだったデスクワークはほとんどする暇も無く、かなり体力を消耗するような仕事が毎日山積みだった。

そしてそこにも『人員不足』という魔物が住んでいた。

前から居た人は日々ストレスを抱えていた。

仕事の量と人員の数が見合っていないことは、入社初日から理解できた。

思うように動けない私に対して、その人のストレスがどんどん膨らんでいくのが目に見えてわかったが、私はその人の期待に応えようと努力し、また無理をしてしまった。

その努力はその人に伝わることもなく、伝わるどころか私に対するその強い口調や態度に、どんどん私は疲弊していった。

そしてそれは恐ろしいスピードで、とうとう『こころの病』が再発してしまったと自分で確信できるくらい、2年前の不調期の体に舞い戻ってしまう。

そして「いよいよ仕事を続けることが難しい」と感じるようになり、上司とその人にそのことを伝えるが、その人は何ひとつ理解できない様子であった。

理解するどころか「申し訳ありません」と何度も謝る私に、その人はこれでもかと言うくらい私を罵り続けた。

「あなたはおかしい」
「あなたは間違っている」

そう何度も何度も繰り返した。

「あなたは病気に甘えてる」
「そんなんだから病気になるんだ」

そう言われたことが、本当にきつかった。

これまでの人生で一番きつかったかも知れない。

自死に至ってしまう人の気持ちを知ったような…そんな気がした。

倒れそうになる身体を必死に支え、そんな罵声を聞きながら、クラクラする頭の中で漠然と思ったのを覚えている。

「あぁ、こういう感じなのかな…」

グレーもしくはブラック、そしてホワイト

あの言葉の真意は今でもわからない。

別に知りたいとも思わないし、私にはもう過去のことなので、傷つきはしたがはっきり言ってもうどうでもいい。

結局その人もあまりの忙しさに疲弊していたのだと思う。

そこにも『現場を知らない上層部』が居たのだ。

原因はズバリそこにあり、このことは『人員不足』が招いた悲劇である。

私は悲劇という沼にどっぷりとハマってしまったのだ。

「もう絶対に辞める」

そう決意した私は、上司を介し上層部と直接話すことになり、理解を得ることができ、早期の退職が認められた。

たった1ヶ月の入社生活であった。

そこからまた自宅療養に入り、症状は落ち着いていった。

今はそんなドス黒い生活からは程遠い、ゆったりとしたストレスフリーの生活をしている。

意気揚々と入った新しい職場で『こころの病』がどれほど根強いものかを思い知り、また自分のこれからの人生を考える日々に舞い戻った。

今はかなり体調も落ち着き、アルバイトではあるが新しいお仕事も始めている。

直行直帰の短時間のお仕事。

それも2箇所。

ここにきてようやく、お仕事との『運のよさ』を感じることが出来たようだ。

55歳にして未だ人生模索中ではあるが、今では本当に心の底からこう思う。

「生きていてよかった」

今の私の頭の中は『ホワイト』。

スッキリと真っ白な状態だ。

それはぐちゃぐちゃになったキャンバスに、上から新しい白い絵の具で全て塗り替えたような、そんな気持ち。

『白』は染まるしかない色だと思っていた。

しかし「人生」というものは、いつからだってまた新たに始めることが出来るということを知った。

孫がいるような、こんな歳になってもだ。

真っ白なキャンバスに何を描いていくかは自分次第。

残された人生、これからはキレイな景色だけを見ながら、キレイな心で生きていきたいと願う。

何色ものキレイな色とりどりの絵の具で、いくつものステキな絵を描いていこう。

真っ白なキャンバスに。




最後までお読みいただき有難うございました♪

ではまた。        Tomoka (❛ ∇ ❛✿)


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