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今後の作風について

現在26篇、12907字になりました。
公募の結果、SNSや身近な人達の反応などを見て、作風を変えることも考えましたが、少なくともキリのいいところまでは今まで通りに書こうと思います。
他人の批評や感想を参考にしたり、入選できるように傾向と対策を練ることも念頭にはありますが、他人の基準にあまり従うと、自分らしくない、興味がないことや好きじゃないこと、自分に無いものについて書くことになります。自分が書きたいことを書けなくなるのではないか。今回はその事について書こうと思いました。


1.身近な人物について書くということ

私の憶測で思い当たるのが、父母や祖父母のような人達などへの情や触れ合いのようなものです。
現代詩を初めて知った頃、これは花とか星とか綺麗なものだけ書く分野ではなさそうだということはすぐ把握し、対処しましたが、この点はやっていませんでした。
私は家族、親戚、地域の人達に似てないし、考え方や価値観、性格も違うせいか、あまり親しくありません。挨拶や必要なこと、天気の話などごく表面的なことだけということが多い。必要以外でかろうじてなんとか身近な他人と合いそうなことといえば、ペットの猫とか鬼滅の刃などのアニメとか広島東洋カープのことを少しですが、それについても家族の付き合い程度なのでそんなに語れません。
私が自分の興味を持っていることや好きなものについて話をしても一般大衆的でなく、マイナ-でサブカルでマニアックなもののせいか「知らない」「分からない」「理解できない」「変わってる」と言われたり、珍しいものを見るような不思議そうな顔をしていたり、反対したり嫌そうな反応をする人もいました。逆に他の人達の好みそうな興味のありそうなことは私には興味がない、好きじゃない、合わない、ついていけないものが多い。
学校でも職場でも家庭でも自分と同じ趣味や興味の人にほとんど全く出会ったことがありません。そうした人を求めようと思ったら、書籍やネットで遠くの人を見つけるしかない。実際書籍やネットの遠い人だとよく見つかります。
抽象的で観念的で硬くて難しいのは詩だけではなく、それ以外の政治宗教哲学思想歴史心理学などの人文学の本も詩以外の文学も同様で、音楽性も硬い   (鋼鉄Heavy Metal)。
母に、私は家族(父母弟)、親戚(祖父母、おじおば、いとこ)のうちの誰に似たのか?と聞いてみましたが、誰にも似てない、似ている人は居ないということでした。容貌や血液型など肉体的には確かに遺伝を感じるけど、内面が違う。部分的なところが似ているとかちょっと近い人は少しいました。ある意味身近な人は近くて遠い人でした。
それで身近な人のことをどうやって詩にすればいいのかな?生んでくれて育ててくれてありがとうとか衣食住とか旅行とか冠婚葬祭のことなんかを書くのかな?と思いました。

2.身近な物事について書くということ

仕事そのもの家事そのもの生活そのものに興味や関心が薄く、上の空で余地があると白昼夢や考え事に耽っていることがよくあります。事故やトラブルを避ける為に気をつけますが、ちょっとでも隙があるとすぐこうなります。
これは私だけでなく他の人もそうかもしれませんが、夢やロマンがあることの方が楽しいし、日常的で現実的だとつまらないと思ってしまう。
例えばクリスマスとか旅行や祭りなどのイベントのある日だとまだ関心が湧くけど、平日の何もないただ仕事と家事だけの日など思い出や印象に残らない。だから現実主義の人って不思議だな?私だったらつまらない、面白くないと思って夢の世界に現実逃避するのにな、と思ったりします。
身近で具体的な事って、要するに自分の手元や足元を近視眼的に細部を見るということかな?
家具とか車とか場所の地名とか何か具体的な物質や固有名詞を書くということかな?
現実的 日常的 具体的なことは手紙、報告、伝言、日記、随筆にはいいと思うけど、詩として上手く書けるのかな?
幻想と現実の間、現実をベ-スにしてそれをロマンチックに比喩するということかな?それで私の場合はとりあえず道端の石ころとか雑草とか情景をリアルに細かく描いてみたり、ということをやっていました。
と同時に、抽象的観念や硬い言葉を書かないのは楽しくないし面白くないし、書きにくいので嫌だなとか、公募や同人をやらなくても、選ばれなくてもSNSで公表するだけで伝えられるんだから、それだけでいいんじゃないか、そもそも他人の基準ではなく、自分自身を貫く方が正解なのかなという思いもあります。

3.交流が少ない

あと思い当たるのは昔、同人になったことはあるけど活動期間も短くそれ以来やったことがない、公募や投稿もやったことはあるけど回数は少ない、他人との交流が少ないことです。だから他の人達の基準とか様子や情報もよく知らない。大体書籍やSNSで閲覧して情報を手に入れている。しかしそれも気に入った部分だけ、自分にとって重要なところだけという風に、詩そのものではなくポイントだけ得て読み飛ばすことが多い。前後なども合わせて総合的に読むべきとも思うが、時間や労力がかかるのでそこまで手間をかけたくないとも思う。
昔、詩人ではなくコピーライターに注目していました。詩に比べて短いし、ポイントだけで作れそうな感じがする。実際、私の詩の作り方はコピーライターのようなところがある。だから例えば単語やフレ-ズはいいけど詩全体としての作りが良くないとかかなと思いました。

4.作風について何度もエッセイを書く理由

これは昔、10代の頃から対象は違うけど何度も趣味を変えるようにしていたからです。
学校でクラスに溶け込めない、会話が途切れて無口になるなどが原因で、対人関係を改善するためにやったことの一つが、音楽性を変える、いかにも女性が好みそうなイケメンのファンになることでした。
それで何度も何度もソフトで静かでおとなしい音楽性に変えようと努めたり、男性アイドルなどに注目したりしたけど、結局自分には合いませんでした。
アイドルやソフトな音楽の曲や歌、音楽性が好きでない。ボリュームがなくて、物足りない。
俳優やアニメのキャラ、身近な人(学校に居た)など女性ファンの多そうな人にも注目し、いいと思う人は中にはいたけど人前で恋愛感情を出すのが恥ずかしくて隠したり、好きでないフリをしたりする。大体ク-ルで冷めてて恋愛感情が湧きにくい。恋愛というのは私にとってやりにくいものでした。
それ以外にも世代的、時代的に皆テレビ中心だったのに、私だけがテレビを見ずに活字ばかりの本中心なので、ここも変えようとして結局変わりませんでした。文章を読み書きしないのは耐えられなかった。
もう一つが右翼保守に結局なれなかったことです。チベット、ウイグル、ベトナム戦争(韓国軍)、北朝鮮の拉致、嫌韓流、捏造、嘘、自虐史観、昔の日本が尊敬されていたなど、書籍、ネット、メディアなどでこれでもかこれでもかと右翼的な情報が嫌でも目に入ってくる。中韓朝があんな悪いことをやった、こんな酷いことをやったと私のもとに情報が入ってくる。しかしそれだけで判断するではなく、例えば琉球王国とかアイヌ、台湾原住民による抗日事件、新羅神社など学校で習った覚えのないようなものが数多くあるので、別の角度からも政治歴史を検討してみたい、自分の性格が世間一般大衆的でないのでそれが日本の国民性と合わないのではないかと思い、左の方へ行こうと思いました。外で働くことは別に好きでも興味がある訳でもなく金や生活のためにやっていたので、専業主婦擁護という点はちょっといいかなと思いました。戦争とか犯罪とか善悪のようなことは決め手にはなりません。
要するに詩以外でも変えた方がいいのかなと思いながら、結局変わらず自分を貫く羽目になってしまっているような人生でした。だから詩の方もそうなるのかな、という予想もあります。
また、普通しばらくやっていたら上手くできるようになるものと思っていたけど、公募などをやっていると詩に関してはそれが感じられないところがありました。学校の勉強やスポーツもいくらやってもそれ程できるようにならなかったように、詩もそうだったのかなと思いました。
しかし自分の好きな言葉、書きたいことを書いて楽しく創作したい、そのために自分と作風が似ている人や自分の好みや価値観に合いそうな他者(私一人だけじゃないことを知りたい)をよく探していました。
例えば荒地派、「薔薇・魔術・学説」、日夏耿之介、トリスタン・ツァラ、マリネッティ、ボルヘスなどの外国人(もし日本の詩が合わない場合のことを考えて)、ダダ、シュルレアリスム、前衛的なものなど。しかしそうしたことも結局あまり効果は感じませんでした。選ばれている人達の作風がそういった感じではない。
だから時代が変わってもっと違う作風、若しくは多様な色々な作風が評価されるようになればいいのに、と思いました。
とりあえずSNSで公表すれば選ばれなくても同人にいちいち入らなくても載せてもらえるので、自分らしい作品を発表できるだけでも良かったです。
最新作2を公表するのは早くて2~3ヶ月先だと思いますが、まだ未定です。

















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