見出し画像

敗北からの転機〜#あの選択をしたから〜

今、僕は学校で先生してます。

「学校の先生」は僕にとって1度はなってみたい職業だった。
子ども好きだし、社会科が好きだし。
そもそも学校が好きだったのかも。
今はすっごく楽しいけど、思い返すと
大学時代は自信がなかったんだな〜。
経済学部だから4年のとき教育実習にいった。先生に向いてるかな〜って幻想を抱きながら…。
その幻想は一瞬で崩れた。
子どもと何話せばいい…?
今なにするのが正解…?
生徒が気を使ってくれてなんとか形になったような授業。

周りの教育学部生と比べてなにもできない敗北感。
なりたい職業だったのに怖くなった。

だから選んだ自分の道
「遠回りして先生になろう」
先生になりたくないっていう結論にはならなかった。

そう選択させたのはたぶん小2の頃友達が教えてくれた言葉のおかげ。
「不可能を可能に変える」
ゆっくりだけど前に進めた気がした。

そこから3年は、
勉強をメインに教える塾講師になった。

塾講師の仕事は教える内容、カリキュラムなどの大枠があって余裕もありながら、比較的子どもたちに好かれて楽しく過ごしてた。
2年目、生徒数が多い校舎に配属され、また責任ある仕事を任された。保護者とも面談し、時には「なんで成績があがらんのや!!」って罵倒されたことも…。もちろん成績をあげるのが塾講師の使命。そんなこと分かってたけど、自分は勉強だけじゃない生徒の性格や様子が見たかった…。生徒との雑談も大切にしてた。

そうして塾講師としての限界と、学校の先生への思いが強くなった頃。ようやく憧れの学校の先生になる決意をした…。

中学校での勤務。残念ながら教員採用試験は受かっていないので1年間の任期付。
それでも配属された僻地の学校は、生徒との関わりが深く副担任もさせてもらって充実した日々を送れてる。
何をすればいい?そんなの考えずに身体が勝手に動いてる。思いっきり遊び、時には授業に悩み、生徒に悩み相談したり…。自分ができることをできる範囲でしてる。

なって良かった。学校の先生。

「不可能なんてないじゃん、不可能は可能にすればいいじゃん。」

あの時この言葉を教えてくれた人は今何してるだろう。小2以来彼に会えず20年が経とうとしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?