「ラーゲより愛を込めて」を観てきました

 「ラーゲより愛を込めて」を観てきました。
映画『ラーゲリより愛を込めて』公式サイト (lageri-movie.jp)
とても良い映画でした。シベリア抑留の事はあまり良くわかっていないようですが、とても不条理な状況に巻き込まれてしまった方々がいらっしゃったことが分かりました。
 満州国と言うと、歴史の教科書に出ているだけの、昔の出来事みたいなイメージがあります。でも、私の祖父は職業軍人として満州に勤務しており、父は幼少期を満州で過ごし、叔母は満州生まれです。私のクラッシックギターの先生は大連で女学校を出ていらっしゃると聞いています。祖父母は戦況を察知し、早々と引き上げて来たので、戦乱に巻き込まれず、帰国できたそうです。まだ、最近の出来事なんだと思います。
 満洲国での日本人の暮らしが、どのようなものであったのか、祖父からは聞いておりませんが、他の方々から聞いた話では、裕福な暮らしで、女中さんを何人も雇ったりできたようです。女学校では、移動時は人力車が一人一台づつ使わせてもらえたと先生より聞いています。
 私の想像ですが、日本人は特権階級として、現地の人々から高い税金を取り、安い人件費で仕事をさせていたのかと推察されます。
 当時、満州から引き上げて来た人々は、戦後の混乱もあり、満州での様子をあまり語ることなく他界されたのではないかと思います。
 祖父は帰国後、潜水艦勤務、地上勤務、南方(ボルネオ島)の占領地の統括にあたったと聞いています。
 良く聞かされた話は、南方で戦後、なかなか引き上げの迎えが来ず、孤立してしまい、食料が無くなり、狩猟生活を余儀なくされた話です。ジャングルで、ニシキヘビやオラウータン・・・捕れるものは何でも食べて命をつないだと聞いています。
 帰国できたのは、戦後、大分経ってからと聞いています。父の兄弟は四人ですが、末っ子の叔母は、三人と歳が離れており、不思議に思っていたのですが、戦争のためだったことが、最近分かりました。
 祖父は、私が大学生の頃、他界したため、当時の話を聞けなかったのが残念です。
2022年12月17日

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