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トイレットペーパーの芯から、他人と暮らすことの意味を知った話

子ども頃から生活を共にしていた
家族以外の人間と共に暮らしてみて、
初めて気づくことってありますよね。
「トイレットペーパーの芯」を見るとよみがえる、
ある思い出について書こうと思います。

京都で一人暮らしをしながら
大学に通っていた30年ほど前の話。
私は、大学4年間で4回も引っ越した
「引っ越し魔」でした。

家賃の安さ重視で、最初に選んだ下宿は、
忘れもしない「監獄」のような
女子学生専用アパート。
風呂共同、門限アリ(確か22時だった)で、
実際、廊下には鉄格子がついていました!

一時は、ユニットバス完備の学生マンションに
住んだこともありましたが、
毎日の銭湯通いにもすっかり慣れ、
4回生の時には、結局「風呂無し水回り共同」の
年季の入った長屋の一室に落ち着きました。

昼間でも電灯が必要で
光が入らない薄暗い一階の部屋ながら、
土壁や障子に、こまごました雑貨を飾ったり、
間接照明にしてみたりと、
創意工夫で結構快適に暮らしていたような
気がします。

そこは、定員2名の学生向け下宿で
上の階にはすでに住人(女子)がいて
今で言う「シェアハウス」のようなスタイル。
その同居人が大学の後輩でかつ、
共通の友人がいたこともあり、意気投合!
そこからは、夕飯をおすそ分けし合ったり、
朝までガールズトークをしたりと
楽しい日々を過ごしていました。

私と同じくあまり細かいことに
頓着しないタイプだった
彼女との相性はわりとよくて、
共に過ごしたおよそ1年間
喧嘩らしい喧嘩もありませんでした。
そんな彼女にたった一度だけ苦言を呈されたのが、
「トイレットペーパーの芯」問題です。

共同生活を始めてしばらくたったある日のこと…
(彼女)「ねぇ、なんで、トイレットペーパーを使い終わった後、芯を捨てずにそのまま置いておくの?」
(私)「へっ?どういうこと?」
(彼女)「私がトイレに入ると、よく新しいトイレットペーパーの上に使い終わった芯が載せてあるんだけど、あれ、私がいつもゴミ箱に捨ててるんだよ。」
(私)「あっ、ごめん。気づかなかった…。気を付けるね。」

本当に無意識にズボラしてしまっていた私は、
彼女の指摘を素直に受け止め、
申し訳ないと思うと同時に、
少し恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。

この話には実は続きがありまして…
それから随分と時が経って、
私が実家に帰省していたある日、
見つけてしまったのです。
あの「使い終わったトイレットペーパーの芯」を!
このよろしくない習慣は、驚いたことに
私の実家から引き継がれたのものだったんです。
それ以降、実家でトイレットペーパーの芯を
ゴミ箱に捨てるのは、常に私の役目となりました。

あれから数十年がたった今でも、
実家で放置されたトイレットペーパーの芯を
見る度にあの時の友人の顔が思い出されます。

これって、多かれ少なかれ、
どこの家庭にもある話なのかも?と思います。
例えば、細かい話ですが、
お風呂の時、ある程度体の水気を拭き取ってから
上がるのか?そのまま、出ちゃうのか?問題。
はたまた、ご飯はいつも炊き立てか、
冷ご飯をレンチンでOKなのか。
餃子がメインおかずの「餃子定食」 肯定派か、餃子は一品でしかないのか、等々。
各家庭の謎ルールって結構ありますよね。
こういう些末なズレをすり合わせていくのが、
他人と暮らすってことなんだな~と思います。

もちろん、この最たるものが
いわゆる「結婚生活」ですよね。
残念ながら、私の場合、
一度目は失敗に終わってるんですが…。
また、この結構シンドイ作業を
またゼロから始めようとは
今はとても思えないな〜
それこそ、個人的には「別居婚」とかが
ベストだと思います!

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