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六十一歳の抵抗

月に1回、地元の自治会館で「寺子屋」というのを始めた。今月(2024年1月21日)5回目を予定している。

同じく月に1回発行している地元広報紙があって、3年前に誘われメンバーになった。アラカン親父が(YouTubeだけを先生に)動画作成を始めたばかりの頃だ。

撮影・編集した動画をYouTubeにあげ、そのURLをQRコードにして広報に添付する。
赤ちゃんやペット、地元の人たちを取材する機会となり、それまで疎遠だった皆さんとの交流が生まれる。なにより動画作成の絶好のトレーニングとなり、とてもありがたかった。
それが編集員の高齢化(61歳の僕で一番若い)と、コロナ以降イベントの激減からネタがなくなり、ぼちぼちやめるかとの声が上ってきた。

この地域の青年団はとうの昔に消滅し、子供会も数年前に休止。
シニアクラブと名を変えた老人会にも新規参入はなく、むしろアチラに旅立たれる方ばかり増えるから、今や風前の灯火ふうぜんのともしびという状態である。

4月で20周年となる広報紙の名前が「○○未来」なので、これが無くなると地元の未来もないという、笑い話にならないオチとなりそうである。
放っておけば消滅は目に見えているから、広報としても攻めの姿勢に転じようとなった。ついてはおめぇ講師やれとなって、昨年9月から毎回企画を立て、「寺子屋」を開催している。ちなみにこのイベント名は、自治会長が命名した。内容が伴っていない気もするが、なんかカッコいい。

それに先立って、「終活しゅうかつ」をテーマにシリーズ化しようと、自治会の役員を集め予行練習をしてみた。
自分が終活ガイドという資格を持っているし、なにしろ高齢者が多い地域だから、相続やら墓じまいやら、緊急時の対応等のあれこれをレクチャーすれば、参考になると思ったのだ。

ところがこれが、不評だった。参加者は口々に、気分が重くなるという。
なるほどねぇ。死が身近になるほど、現実を直視したくない心理が働くわけか。やっぱり、明るいネタにせんとイカンのだな。

そこで過疎化の進む地域を重く捉えず、しばらくは都会にない魅力の発掘に努める事にした。
自分の地域の長所を思いつくだけ挙げてくださいとファシリテーション(参加メンバーそれぞれに発言を促し、場を活性化させる手法)の形式をとったり、カネをかけず地域を活性化させるアイデアをねん出したり。
たとえば僕がやっているX(Twitter)を地元住民が一斉に始め、自宅から見える山や川、神社や寺でもアップしだしたら、都会に住む皆さんに向けそれなりのPR効果があるんじゃないか、とか。
ごくまれにでも、この「何もない」場所を気に入って移住する若い世代も、皆無じゃないんだから。

地元(自分にとっては日本を象徴する場所)のゆるやかな再興という妄想を現実に変えるべく、今年からnoteも始めてみた。
僕ごとき動いて何が変わるものでもないが、動かなければこのまま終わりの時を待つのみだ。
期待せず、絶望もせず、しばらくは淡々と、自分に出来ることをやってみようと思っている。


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