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私はだれ?

毎月1回、地区の人に集まってもらい、「寺子屋」というのを開催している。
企画自体は自治会の準組織なのに、なんとなく僕が講師の立場になっていて、たあいもないテーマやゲーム、地元の情報提供などで2時間ほどを過ごす。

人が集まる事じたいが目的だから、ネタは何でもいい。
こうして毎日つづっているnoteと一緒で、頭に思い浮かんだキーワードや日々のエピソードをパソコンに打っていくうち、当初発想しなかった仕掛けが生まれてきたりする。
今もこうして文章を打ちながら、並行して今度の日曜日に使うネタを探している。

最初の頃は年齢の高い人が興味を持ちそうなテーマを、紙の資料を用意してしゃべった。
脳は一生成長し続ける話、ゆるいCMでおなじみの「夢グループ」の低予算戦略の話とか、それなりに興味を引けた気がする。

途中でいろいろ質問を投げかけながら進めるのだが、対話は一対一に限られ、「寺子屋」としての一体感は生まれにくい。
そこで数回目からは参加者全員で考え、それぞれが発言の機会を平等にもてる場にしようと決めた。

通常の集まりであれば大概たいがい、まとめ役や声の大きい人が場を仕切り、異論を差しはさませない空気が漂いがちだ。
発言しない方が悪いと言ってしまえばそれまでだが、聞けずに終わった意見の中に、もっと妥当な解答がなかったとは言い切れない。何より参加者一人ひとりの思いが尊重されないようであれば、そういう場に顔を出す人もおのずと減っていくだろう。ふだん口の重い人にどうやって考えや思いを外に出してもらうか、腕の見せどころになる。

毎度まいどのこと、頭を使ってお金は使わないゲームを企画している。
たいしてった内容にしなくても、何かを当てようとするとき人は俄然がぜん盛り上がるものだと、この寺子屋の企画で知った。

今回は、「私は誰でしょうクイズ」をやってみようと思う。
回答者のみが答えを知らず、自らが何者かを推理する。周囲の人々から、イエスかノーで答えられる質問に対しのみ、ヒントが与えられるルールだ。

たとえば、「ネコ」が正解とする。
「私は食べられますか?」「いいえ」
「私は何色ですか?」「色はいろいろだなぁ」
「私は近くにも”います”か?(ひっかけ)」「ご近所にも何軒か”いる”と思うけど(ひっかかった)」
「私は生き物ですか」「そうです」
「私はワン!と吠えますか?」「おしい!」
「私はニャーと鳴きますか?」「はい」

最短で答えにたどり着いた人が優勝である。ちなみに優勝しても、何も出ない。
概念や実在する物体を当てるこのゲームは、遊びながら論理的思考力を鍛えるそうだ。子供に最適かもしれない。
半世紀も前にテレビで大人気だった、「連想ゲーム」の変形バージョンみたいなものか。

「もっと若い人に参加してほしい」。皆様、異口同音いくどうおんにそうおっしゃる。
「若いモンなんかくるな!」という場にしましょうと、僕は返している。
変な宗教にでもハマってるんじゃないか、同居の息子夫婦がいぶかしむくらいに楽しんでいればいいんです。
「集まりでなにやってんだ?」と訊かれても、「な・い・しょ」くらいに答えましょう。

家で「私は誰でしょう?」なんて言い出そうもんなら、「ついにこの日がきてしまった」と、別の意味で家族に衝撃を与えるかもしれない。そうなれば若い人も、確認のため寺子屋に参加するかもしれんぞ。

イラスト hanami🛸AI魔術師の弟子


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