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老人と現役のポルカ

今度の日曜日は、月に1回恒例の「寺子屋」である。早いもので今回で、第8回目になる。
参加人数(毎回10人弱)が増えていかないのは残念だが、回を追うごとメンバーの入れ替わりがあって、マンネリ化は避けられている。

前回は急遽きゅうきょ、ある話題からそれに関連した参加者の相談を受ける形になり、地元の諸問題について一緒に考えることになった。
課題を掘り下げ、可能な限り解決していけるなら、寺子屋は有意義に機能する存在となり得る。用意したカリキュラム通り進まないのは、逆に僕として大歓迎だ。

月に1回、班長会が開かれている。おそらくこの地区に自治会が組織されてから、何10年も続く定例会だろう。
こちらでは(連合自治会から預かった)印刷物を班ごとに配布し、三役による月例報告が行われる。
班長は1年交代の当番制で、たとえば僕の班だと13世帯あるから13年に1回、番が回ってくるわけだ。

今まで当番は2度回ってきたが、班長会に出ても何かを討議するわけではない。
自分の班の住民から要望があっても、班長が事前に話を聞いて報告することもない。どちらかと言えば班長会は、印刷物を各戸に配布するため集まるだけの、無味乾燥な時間になっている。

問題がなければ、それもいい。じっさい表面化するほどのトラブルは、日々の中で生じていない。
それだからこそ厄介ともいえるのが、加速度的に進む少子高齢化である。

齢をとっても動けるうちは、動けなくなる日が来ようなどと現実として受け止めずにいる。その日が来たとき、初めて対応しようとしても時すでに遅しだ。
昨日まで自力でできていたことが、今日は誰かの手を借りなければかなわない。その「誰か」も家にいないことが珍しくなく、立ち往生ならぬ寝たまま往生にさえなりかねない。

恐らく近い将来、そういうことがあちこちで起きてくる。
かつて首都近郊に林立したマンモス団地と違い、昔ながらの近所付き合いある田舎である。家を出れば、顔見知り同士のはずだ。
そうであっても、毎日挨拶していたかつての日常から、今はだいぶ遠のいてきたようである。
「○○さん、最近見ないねぇ」と思っているとすでに他界されていて、家族も以前のように自宅で葬儀するわけでないので誰にも報せず、だいぶ経ってからわかるケースが増えている。

正直言って、かつての地区の状態をいささかでも回復したいと思ったとして、臨界点はとうに超えてしまった気がする。僕があと20年ほど、平均寿命まで生きたとして、同じ班の13世帯はたった数軒にまで減っている可能性が、極めて高い。

その現実を現実として直視する必要はあり、ただ漠然と不安に感じているよりはるかにいい。
だからと、具体的な対策は何もない。強いて言うなら、高齢者がその齢に応じた活動をし、あるいは新しい何かを学び始めるべきだ。

最近、高齢者の集団自決を促す冗談ジョークで炎上したマルクス系の学者がいるらしい。人を労働力と見なし、生産性のみから判断するなら、それもあながち外れているとは言えない。
マルクスが人間という存在を資本家と労働者に二分したように、現役世代と老人たちとを分断し、生産性と非生産性から論ずるのは昔ながらのやり口でもある。

この衰退を止めるには、老人の側も、もっと慕われうやまわれる存在になっていくしかない。
あんな風に齢を重ねたい。そう現役世代から思われることなく過ごしていれば、「65歳人生定年制」を唱えるやからは、今後も増えていくことだろう。
その彼らもまた老人になる頃、この国はさらに衰えているはずだ。

ひとまず自分の暮らしや健康だけを考えず、生まれ育った地域にどう恩返ししていくか。あと数年で「高齢者」の仲間入りをする僕を含め、今後最大のテーマになっていくべきだろう。
爺さん婆さんが多少なりと頑張った姿を示すことで、形にならない財産を次の世代に繋ぐしかない。
「寺子屋」の基本テーマは、そこにもある。

イラスト hanami🛸|ω・)و



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