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「あきらめさせる力」

聞く力、看る力、嫌われる力……世間ではさまざまな「力」の大切さが説かれている。この種の本はたいてい読んでおり、それぞれに納得する部分もあるのだが、私が36年の人生で大切だと思うのは「あきらめさせる力」である。

両親、教師、家族、職場の上司・同僚……生きている限り、他者(自分以外の存在という意味で)との関わりが避けられない。

人と関わるということは、少なからず干渉されるということだ。

男らしく・女らしく、結婚しなさい、子どもを作りなさい、年老いたらおとなしくするべきだ……生きていれば必ず、何らかの「干渉」にさらされる。

両親のしつけや学校教育など、生きていくうえで土台となる部分についてはある程度受け入れなくてはならないが、すべての「干渉」をまともに受け入れてしまうと自分がなくなり、いつの間にか人生の実感がなくなってしまう。

人生を自分らしくカスタマイズしたい……そんな時に役に立つのが「あきらめさせる力」である。

「あきらめさせる力」のコツは簡単。とにかく言いつづける、やりつづけることだ。

私の父親は保守的な人で、昔から「重度障害者は早い段階で施設に入り、一生を安全に暮らすべきだ」と考えていた。父親のいう施設とはシェアハウスやグループホームではなく、大人数の障害者を大規模に管理する、いわゆる「昔ながらの介護施設」のことだ。

私も幼い頃から事あるごとに、父から「大人になったら介護施設という場所で、同じような人たちと楽しく暮らすんだぞ」と言い聞かせられて育ってきた。

少しだけフォローしておくと、父親が格別管理的で、強権的だったわけではない。ただ、父の生まれ育った時代は障害者に対してまだまだ「非寛容的」で、重度障害者が地域で自活するなど到底考えられなかった。

九州の地元には現在も、人里離れた山奥に大規模な介護施設が点在している。

私が生まれ、神奈川県に引っ越してきてからは、車で行ける範囲の入所施設を早い段階でピックアップし、いつでも見学させられるよう手はずを整えていたらしい。

しかし、小学生、中学生と成長するにしたがって私自身の中にも「施設は嫌だ!」という思いが芽生えはじめた。時代の空気としてもバリアフリーやノーマライゼーションが浸透しはじめ、重度障害者であっても可能な限り主体性を持って自分らしく生きよう、という機運が高まっている時期だった。

私も学校の図書館やネット環境を駆使して自立生活のための情報を集め、「大人になったら自立できるんだ!」という気持ちを強めていた。

決して、大規模な介護施設を全面的に否定しているわけではない。ただ、施設よりも自分らしく生きられる場所があり、少しの努力で手が届くのならチャレンジする価値はあるのではないか、と思っていた。

そして、大規模な介護施設では主体性を持った生き方は難しいだろうと、未熟ながら考えていたのである。

8年前に九州の祖父が倒れ介護の必要が生じると、私の進路問題はいよいよ差し迫った課題となった。

父親はなおも私を介護施設に入所させようと考えていた(実際、九州の介護施設に連絡し見学の手続きを進めていた)ため、当然、真っ向から対立することになる。

思春期にあっても反抗期らしきものがなく、父親の言いつけには基本的に従ってきた私だが、さすがにこの時ばかりはおとなしく「はい」と言うわけにはいかなかった。

父親とのすれ違いはしばらく続いたが、結局は現在のシェアハウスが見つかり、両親だけが実家に引き上げる形で決着がついた。

父親としては納得というより、「ひとまず矛(ほこ)をおさめた」といったところかもしれない。

あれから8年。多少の紆余曲折はあったものの、シェアハウスでの暮らしは概ね落ち着いている。

シェアハウスに入ってからも、「あきらめさせる力」は続く。

入居当初は1人で出かけると言うと、「本当に大丈夫なの?」、「危ないんじゃない?」などとスタッフから随分心配されたものだが、「大丈夫!」と言いつづけているうちにいつしか心配もされなくなり、介助者なしで出かけることが当たり前になった。

もちろん、安全性がしっかりと確認されたうえでの話だが……。

生きている限り、価値観の障壁や意見の対立は避けられない。しかし、相手を納得させ理解してもらうことは難しくても、あきらめさせることは何とかできるかもしれない。

これが、私の実感である。

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