選挙が近づくたびに思い出すこと

 街頭演説があまり好きではない。小学生の頃、狭い歩道を歩いていたところ、同じ道をすれ違う街頭演説で移動している人にシッシッと手で払うような仕草で追い払われた。そのようなことをしてきたのは候補者本人ではなく関係者だったが、酷い扱いを受けたと強く感じたことは確かだ。
 どの候補者の集団かさえも忘れてしまったが、ルールを守って歩く小学生を、集団で広がり歩きをしながら手で追い払うような人たちには投票したくないと幼いながらに強く思った。嫌な思い出だ。

 部活動やサークルの新入生の勧誘、店での接客を通して、声を出して聞いてもらうことの重要性は感じる。ホームページを見てくださいなどと言ったり、ビラを置いておいたりしても、真面目に目を通す人は少ないだろう。選挙においても振り向いてもらうことが大事で、街頭演説によってその効果が期待できるであろうことを頭では理解している。しかし、その土地の人々に投票してもらうために人の生活圏で大きな声を出し、場所を取っているのだ。少しでも住民が不快にならないための誠意は必要なのではないか。

 常識的な街頭演説でも、また街頭演説に限らずどの人のどんな行動でも、ある人にとっては不快になっているということは往々にしてあると思う。皆が快適に過ごせるように、歩み寄りが必要なのが社会だ。

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