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やらなきゃいけないことはやりたくないこと

 最近これに気がついた。中学生の頃は何も考えずに何事も前向きに取り組んでいた。高校に入ってから「頑張ったこと」は全部「やりたくないこと」ばかり。「やりたいこと」と「頑張るべきこと」が一致したことがない。(まあ高校からネガティブになっただけかもしれないけど)だから自分の中で
「頑張ること」=「辛いけど我慢してやること」
という認識になっている。これは普通のことだろうか。今の社会では普通のことかもしれない。みんなこれが当たり前になりすぎて、今やらなきゃいけないこと、追われている仕事はやりたいことなのか?と問うこともしないかもしれない。
 自分もやりたくないことをやる羽目になることはもう慣れた。し、そこから得られることももちろんあって自身の成長になると学んだ。なんだかんだ上手くやれるし、嫌でも頑張るっていう忍耐力もついてた。だからこんなこと、気づかなければ全てはいい思い出になったかもしれない。が、もうそれも飽きた。やりたくないことを強制される度にまたこれだ。。。なんのために、、と思うようになった。

 ちょうど今もまた、やりたくないことをやらなくれはいけない場面に遭遇している。それは1年やれば終わることだが、憂鬱だ。やりたくない、というより興味が無いの方が近いかもしれない。興味が無いことを強制されるのは凄く嫌だ。社会ではそれが大半です。と言わらたら元も子もないが、そうではない人が身近にいる。 その人はいつもやりたいこととがんばりたいことが一致しているように見える。凄く前向きに頑張っている。それに対して自分はなんでこんなことになったのだろう、どこで間違えたのだろう。どうでもいいことを与えられて、それに少しでも興味が持てるよう努力して、とりあえず頑張る。興味のないことは最小限に、適当にやればいいやん、でもなぜか自分がいくところにはいつもモンスターみたいなやつがいる。それが大好きでそれをやれ!と言ってくる。

 来年から社会人になるが、今の選択は合っているのか、本当にこれに興味があって志望したのか、また選択を間違えているのではないかと不安になった。それに面接ではこれをやりたいんです!と自信げに話したが自分を洗脳させてただけで本当にやりたいことなのかなと今更思えてきた。これから先何年も興味のないことをやるのは心が疲れるから。
 やりたくないことでも特に何も考えずあまりストレスを抱え込まずできる人もいる。でも自分は違う、いちいちこうやってなんでだろうとめんどくさく考えてしまうから、やりたくないことに時間を費やして、精神を削って、病んで、人生に呆れて、馬鹿みたいだ。
 辛かったけどまぁいい経験だったなってなる経験はもういらないよ。

 何か違う、もっと輝ける場所がある。もっと磨ける才能がある。何か満足できない。何か勿体無い、パッとしない。
この先ずっとこんな感じなのだろうか、
やりたくないことをやり続ける人生は嫌だ。
変えたい、このレールから逃げ出したい。

 じゃあ目標は「やりたいこと」=「頑張ること」にすることだ。こうするためにやりたくないことをやるのか。まだ自分にはわからないけど、何かもっと真剣になれるような、もっと熱中できるような、ワクワクするようなやつが欲しい。
 この先は「やらなきゃいけないこと」に囚われる退屈な人生にしたくない!

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