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小説 あなたは悪辣な恋人 13


クリスマスを終えた吉祥寺の街は恋人達のために輝いていた光を消し去り、新年を迎える人々の足並みに合わせ慌ただしさを加速して行く。私は、クリスマスをひとりで過ごす事は出来るが、お正月にひとりは寂しすぎて嫌い。

実家に帰れと友人達は言うけれど、帰っても寝たきりの弟の世話に追われるだけで、子供の頃から両親が新年の支度をする事は1度も無かった。つけっぱなしにしていたTVから聞こえて来る元旦の挨拶や芸能人の着物姿で正月を感じるしかない家。
子供は弟だけではない、私もいるのだからお雑煮のひとつくらい作ってくれても良かったのではないかと、この歳になって思うが全てが今さらだと諦めている。

昔、どこかで聞いたのが、昭和を生きた夜の女性達が1番嫌った日はお正月だったと言う。彼女達は客の男達が欲望を消化し、世間が暖かい団欒を迎える頃、誰も居ない独りの孤独に耐えらず自殺を選んでしまうのだとか。

私は死を選んだ女性の気持ちがわかる気がする。心の闇を生きる糧や原動力にしている者にとって、お正月のように悪意の無い希望は残酷だ。家族が居ない、居ても戻れない、戻る場所が無い者にとって酷なものだから。


昨日、暗い雨が降っていた。

川崎へ帰る櫻木を駅まで送ると、突然、傘の中で櫻木が私にキスをし、ガラにも無い事をしたと恥ずかしそうに目を逸らした。その姿は直向きな愛を私に一途に向けた出会った頃の少年に戻っている。私は心臓の鼓動が伝わるくらい愛しい男を抱きしめると、自分の固く凍った心が雨に溶け出し、それと同時に血の通う暖かさが身体の芯を包んでいるような感覚を覚えた。

「なぁ純子、川崎来いよ。2人で暮らそう」

「泰孝…それ本気なの?」

「あぁ。お前ならって思ってる。俺も素直になれない男だから悪いな。お前に感謝してる」

「……わかった。仕事もあるからすぐには行けないけど年明けから準備する」

「正月明けたら1度、川崎に来いよ。
汚い街だけど俺の街だから。俺の好きなカツカレーと美味いラーメンを食わせる」

「うん。必ず行くね。泰孝ありがとう」

吉祥寺に来て12年。

そろそろ違う街で暮らしてみたいと思っていた。

川崎は横浜に行く途中に電車で通り過ぎる程度で、どんな街か全くわからないが、不思議と私に迷いはない。良い思い出は少ないが私の故郷、八戸と同じ海があるから。

子供の頃から家に帰りたくない時や、自分が何の為に生まれたのかわからない時、いつも八戸の海を見つめていた。

八戸の海を見渡せる蕪島神社が私のお気に入りの場所。蕪島神社の階段を登って行くとウミネコの大群が空を自由に飛び回っていた。いつかこの街を出てウミネコのように自由に自分の思うまま生きて行こう。そんな風に自分を奮い立たせる場所はいつも美しい海がある。

川崎から見える海はどんな色をしているのだろう。その色は私の心にどう映るのか。今は櫻木と共に見る日を待ち侘びていたい。

間もなく新しい年が来る。

来年の今頃の私はきっと幸せに違いないと信じ、ただ真っ直ぐこの愛に生きて行こう。

どんなに嘆いて足掻いてみても、私は人を愛する事から逃げる事は出来ない。愛に身を投げ、愛を捧げる事でしか自分を満たせない、そんな女なのだから。


続く


Photographer
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