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みけこの散歩15(葉桜も美しいこと)

明るい日差しと青空に桜が冴えて、すごくちょうどいい気温で…
このどこをどう切り取っても、穏やかで平和で何の不満があろうかと思える日なのに、心は憂いでいる。

急に誰かや何かを失ったわけでもない。
それなのにものすごく悲しいのは、多分、わがままだろう。

身勝手で贅沢なわがままに違いない。

こんなことを書いても仕方がないことは分かっているけれど…

どうやって、立ち上がっていたか忘れてしまった気がする、とか

どうやって、自分に元気をつけて、どうやって心を奮い立たせていたんだろう、とか頭の中を渦巻く。

それでも、まさかこのまま横たわっているわけにはいかず、それにこのまま沈んでしまえば、取り返しのつかない深みまで落ちてしまいそうな心配が返って私を呼び起こす。

なんとかしなければと適当に羽織り、歩いて花の下に立つ。

それは、もうすぐ終わる今だけの美しさと可憐さを静かにはらはらと私に降らせてきた。
ほんの一瞬だが、私の体温が戻る気がした。

留めておきたいのに、すぐに地面にたどり着き、後からあとから惜しげもなく降る。

スマホのシャッターを押したところで…と分かっているが、それでも何かに動かされる私をそれは、それでいいんのだと、私に任せる。

何か美しいもの、後で喜べるものを残せる期待が少しの間の力となる。

案の定、何を撮りたかったか意味のない一瞬が切り取られていた。
こうして、意味を持たない一枚一枚が積み重なっていく。

体に戻った温かみもカメラを起動させた指もまた、ゆっくりと沈んでいく。

期待をしては裏切られ、しぼんでいく数々の出来事は、やはり余計に私を独りにした。

静かだった。

自分がどうしたいのか、分かってはいる。
だけど、やっぱり分からない。

どうしたいか、天秤にかけてどちらかを選び、それで選んだ方が本当に欲しかったのかと、自らに問うと分からなくなる。

こうしている間に全ては過去に流れて後悔の積み重ねをしていくだけなのだから、それは無駄でもったいなくて、申し訳けがない。

今日も私は何も生み出してはいない。
何も処理していない。
大して役立っていない気がする。
それは罪だと思う。

けれど、では、これ以上罪を重ねないようにどうするか問うて、誰にも迷惑をかけずにという条件の下では、その答えが見つからず、身動きの取れないままじっと沈む。

何をごちゃごちゃと弱虫が
と、俯瞰している私の声は、昔より小さめで力がない。

動け、働け、怠け者
今日は一体なにが出来た? 
まだ日は明るいのだから
それに日が落ちても、また明日が来るのだから

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