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東大落ち京大の人生とは?

はじめに

 〇〇落ち〇〇大学、という文字列は何度も目にするが、東大落ち京大というのはかなりレアキャラである。それもそのはず、2023年現在、後期試験がある京大の学部は法学部だけで、募集人数はたった20人であるからだ。
 そのため私は身バレが怖い。現在フォロワーが0人、ツイッターもやっていないとはいえ、いつかこの記事が自分の友人や家族の目にとまる日が来るかもしれない。だから、多少脚色したり省略したりするが、許していただきたい。

人生の振り返りその1ー東大受験までー

 幼いころから勉強はできた方だが、それは親の早期教育によって学習習慣が身についていたからだ。高校は偏差値70程度の普通の進学校に進んだ。これで中受をしていないことが察されるだろうが、事情があったので中受は頭になかった。というか中受という言葉を知らないまま、小6まできっちり毎日鬼ごっこやかくれんぼをしていた。中学では常にぶっちぎりの一位だった。そのころ、大学は東大と京大しか知らず、東大はダサいというイメージがあったのでなんとなく京大にいけたらいいなーと思っていた。

 高校でも、継続的な学習により上位一割の成績をキープできていたので、担任からは当然東大受験を勧められた。その時点でよくてC判定しか取れていないのに東大ばかりすすめる先生に少しばかり反抗心を抱き、第一志望校の記入欄に東大以外の大学を頑なに書いていたが、全国模試などで判定が上がるにつれて、「東大」が現実味を増してきた。まじかよ、こんなやつが東大を目指していいのかよ、という心情。高校の同級生は本当に賢い人が多くて、彼らに比べて自分はなんてバカなんだ、と思っていたのに。(ちなみにその「本当に賢い人」たちはちゃんと東大理系に現役合格した)
 高2の夏休み明けの校内実力試験で目標としていた総合順位一桁をとることができて、やっと素直に、東大志望を名乗れるようになった。

人生の振り返りその2ー受験生時代ー

 そうしているうちに高3、受験生の年になった。自分は数学がとても苦手だったので夏休みまでは数学ばかりやっていた。今思えばここで英語をもっと安定させればよかったと思うが… そういえば、東大を志望した理由の一つに、国数英に加えて社会2科目を課される東大文系は、他の大学の文系に比べて数学の得点の割合が小さいというものがあったのを今ここで思い出す。
 夏のオープンでまさかのA判定を取ってしまい、調子が崩れた。東大というのを神格化していた自分にとって、それが手に届きそうだという状況に追いつけなかったのだ。(駿台はB)気が抜けたのかもしれない。秋のオープンはCよりのB判定に下がってしまった。(駿台はA)
 この年は書くべきことが盛りだくさんなので、とりあえずここらへんで締めくくる。別の機会に書くので、ぜひそちらも読んでいただきたい。

人生の振り返りその3ーまさかの京大生にー

 そんなこんなで東大文一に落ち、3月10日、3月11日は涙が勝手にぼたぼた落ちてくる、という状況で小論文の最後の対策をして、3月12日、入洛した。そして、初めて見る京大の開放的な雰囲気に心ひかれた。というのも、駒場はカラスが大量にいて閉鎖的で暗い雰囲気だなと思っていて、京大はそれと対照的だったからだ。京大でもいいかも、と思えた瞬間だった。
 小論文の手ごたえは、結構あった。自分の得意な分野が出たため、かなりラッキーだったともいえる。でも、ずっと東大を目指していた自分にとって、京大生である自分の姿はあまり想像できなかった。その日は試験が終わった後も頭がふわふわしていた。
 合格発表の日は、東大の合格発表の日よりも緊張した。いつもよりも三時間も早く目が覚めて、起きた後も、体のどこかしらが震えていた。なんせ、それに落ちたら、みごと「東大京大落ち」という不名誉なレッテルを張られ、早稲田に行くことになってしまうのだ。(東大だけ、京大だけ落ちるよりかなりのダメージだと思うのは自分だけだろうか)そして、運命の12時、スッカスカの受験番号の中にに自分の番号を見つけた。ほっとした、という感情が一番大きかったが、まあ当然複雑な思いもあった。なんせ、これで晴れて京大生だが、それはつまり、もう東大生になれないことをもさすのだ。

――――続く


おわりに

 ここまで読んでくださりありがとうございました。今後は、京大生になってからのいろいろなこと、また、受験生時代の詳しいことなどをつづりたいと思います。いいねが励みになるのでぜひお願いします。



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