夏休みの宿題
こんにちは! お久しぶりです。
もう夏も終わりが近くなってきましたね。学生さんや学校に行っているお子さんのいらっしゃる方は、夏休みの最終日に頑張って大量の夏休みの宿題をしている...なんて光景を目にした方もいらっしゃちゃして....笑。
この晩夏は、早稲田哲学カフェのメンバーから「夏休みの宿題」をテーマにコラムをお送りします。
さてさて、トップバッターは、はな🌸です。
わたしは夏休みの宿題は、
実は.....
提出した記憶がありません。
提出したこともあるかもしれませんが覚えていませんし、
踏み倒したことのほうが多い気がします。
これは、高校生のときもそうだった気がします。
宿題をやるとしたら最終日でしたが、わたしはそもそも学校が普段あるときでもあまり宿題を出していませんでした。
わたしが思うに、宿題っていうのは必要ない面もあるのかなと感じています。
わたしの母はアイルランド人でしたが、アイルランドの子供たちは学年によってそれぞれですが2ヶ月から3ヶ月の夏休みがあります。
その間、夏休みの宿題はありません。
それでも、アイルランドの国立大学は日本の大学にひけをとっていません。
たまには勉強なんて忘れるのも大事なのかなと思います。
夏休みの宿題も幼い頃は「終わらせないといけない」と思っていましたが、
高校生の頃には平気で踏み倒していました。
なぜ、踏み倒せたか。
それは、わたしが心からどうでもいいと思っているものは気にならない性格だからです。
そして、少し他の子よりも肝が据わっていたのか、宿題を提出しなさすぎて、怒られることに慣れてしまったのか、
先生に怒られることが怖くありませんでした。
先生に怒られるから勉強するというのは、そもそも勉強の姿勢として間違っているでしょう。
わたしは現在、英会話講師をしていますが、すでに出来る子に理由もなく不要な宿題は出しません。
その子のレベルに合わせて宿題を出しています。
それは宿題が、あくまで、勉強として意味のあるものでなければ時間の無駄だと思うからです。
そして、最近思うのですが、
勉強というのは、
多くの人が手段と目的を混同してしまう行為なのではないでしょうか。
かく言うわたしも、今では勉強をしていないと、意味もなく罪悪感が湧いてくることがあります。
けれども、
人間がそもそも勉強をするのは、
文明を前に進めていく、
人間がより良い暮らしを手に入れる、
人間がより人間らしく生きていく、
そのための営みなのだと思います。
勉強をするために勉強をしても何も偉くはなりません。
宿題は、勉強をする習慣を子どもに教えるためには有効ですが、踏み倒しても子どもはきちんと育ちます。
当たり前にようにやっていることでも案外無駄なことも多いのではないでしょうか。
そんなところで、みなさんの何か考えるきっかけになっていればと思います。
では、また!
はな🌸
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