見出し画像

お勧め

私が担任する学級の欠席者は6名。
つまり欠席者への連絡物を6個作る、その日にやれなかったことのフォローを後日6人分するということで、なかなか大変です。
体調不良で休んだ子たちの何人かは、明日も欠席します。翌日来てまた次の日に休む子もいるでしょう。日に日に訳が分からなくなってきます。
楽しいことならいざ知らず、子どもは勉強のことなんて忘れていたほうが都合良いわけですから、細かいところまで教師が把握しなければなりません。

あらゆる意味で、みんな健康に学校に来てくれたら嬉しいです。
そして、健康なまま元気に帰らせるのが、私の仕事です。


いつもは心が書きたくなるのを待ちますが、今日は「今、書こう!」と決めて書き始めました。そうして始まったからか、いつもと同じ環境なのに気分がまったく違います。
違和感と新鮮さが混じったような気持ちです。


お勧めされるのが好きです。
友達から勧められた本はとりあえず図書館で予約するか購入リストに入れます。現在読んでいる本が多いときは、LINEの会話をスクショして、忘れた頃に思い出せるようにしています。

秋頃に読んでいた、
・三体
・ブレイブストーリー
・深夜特急
は、全て勧められたものです。

お気に入りのブログで勧められたものも積極的に買います。
秋頃に読んでいた、
・同志少女よ、敵を撃て
・バッタを倒しにアフリカへ
・戦争は女の顔をしていない
・ピダハン
・プロジェクトヘイルメアリー
が、それにあたります。

本以外だと、
・MOFT X(横置き・縦置きができるiPadスタンド)
・モバイルディスプレイ(ブログで紹介されたものとは違う商品ですが)
・フィリップス ソニッケアーの電動歯ブラシ
も買いました。

学校でも、子どもからお勧めされたら、まずは鵜呑みすることにしています。
子どもの場合は、相手(つまり私)のことを考えてお勧めするわけではなく、ただ自分が好きだから、場合によっては友達の間で流行っているからという理由で勧めてくるため、面白いものにあたる精度は落ちます。
ただ、その分、まったく新しいものに出会うことができるのも事実です。

例えばこの一年だと、アニメの
・スパイファミリー
・僕のヒーローアカデミア
を楽しんでいます。

「それらは元々有名でしょ」と言う人もいるかもしれませんが、学校で子どもたちが勧めてくれなかったら、ちゃんと観ようとは思わなかったかもしれません。
名前だけ知っているのではだめで、ちゃんと自分で体験すること。じゃないと、「あー、○○の呼吸ね」とか、作品の内容をまともに知らないくせに、若者に流行ったフレーズをひたすら使い倒すつまらない大人に成り下がってしまいます。

お勧めされることへの喜びは、教師2年目の時にぐっと高まりました。
その年、私は1か月に一度、他の学校の勉強会に参加していました。
講座を担当するのは、S先生。女性で、管理職にならず現役を貫いて引退し、当時65歳手前くらいだったのではないかと推察します。
大変に元気な方で、一般のベテラン教員とは一線を画す明るさと力強さのある先生でした。

若い頃は、毎朝学級で流行りの歌を歌ったり、夏にそうめんを食べるために学校の畑でネギを育てたり(ネギだけを食べるわけにはいかないので、そうめんを食べる口実になる)と、参考になったりならなかったり(むしろこういう時代こそ、参考にすべきとも思うけれど)する逸話をお持ちのその先生は、教師を引退してなお、ポケモンのアニメを毎週欠かさず観ていると仰いました。

ポケモンに限らず、子どもたちの中で流行っているアニメは必ず観ているようで、子どもを理解するためにそこまでやるのかと、一介の若手教師は衝撃を受けました。

その日から、子どもに「○○観て!面白いから!」「○○っていうゲームばっかりやってる!」と言われるたびにS先生が頭をよぎります。勇気づけられるような思いで新しいものを試し、作品に魅了されていくうちにS先生のことを忘れます。

先日は、辻村深月『凍りのくじら』を読みました。

誰に勧められたのかというと・・・何故だか分からないけど敬称をつけてしまうでおなじみ、芦田愛菜さんです。え、自分だけ?

『まなの本棚』は、芦田愛菜さんがこれまでに読んだ本の魅力を分かりやすく教えてくれる、おそらく10代をメインターゲットにした本です。私の勤務する小学校にも置いてありますから、きっとそうです。自分の子にどんな本を読ませる(という表現はあまり好きではありませんが)と良いか悩む保護者にとっても、役立つと思います。
本が好きで、小学校で働いていて、お勧めされるのが好きな二児の父としては、どんな世界線で生きていたって必ず出会うに違いない本書。そこに、

もしこれから(※辻村作品を)読む方には、辻村さんの『凍りのくじら』(講談社文庫)から読むのがおすすめです!

芦田愛菜『まなの本棚』

なんて書かれていたら・・・そりゃあ、もう、読みますとも!

残念ながら、『凍りのくじら』の内容についての感想は、芦田愛菜さんに会った時のために控えますが(そんなの聞いたらくじらよりも芦田愛菜さんが凍りそうだ)、一節だけ引用します。

「二十代の前半でもう雑誌に連載を持っていて、発表した作品の数もとても多い。先生(注:藤子 不二雄Ⓐ)みたいになりたかった父は、とても焦ったわけですが、年表を見て気付いたんです。藤子先生の一番の代表作にして生涯のライフワークである『ドラえもん』の連載開始が、先生が三十六の頃だってことに。
そこで、父は自分自身の目標をそこに定めたんです。三十六というのは、そういう年齢なんだって、自分の道の意義を見つけ、全ての準備を終えて走り出す時。三十六になった時、それができていないようなら僕の人生はおしまいだ。そう、考えたって」

辻村深月『凍りのくじら』

私、36歳です。
自分の道の意義も見つかっていないし、私にドアがあったなら、そこには「準備中」のプレートがぶらさがっていそうです。

確かに子どもの頃は、12歳、24歳、36歳・・・に、大きな節目があるような気がしていました。干支が一周するからでしょうか。
でも、いざその年齢になってみると、案外あっさり通り過ぎてしまうものです。

「いついつになったら」「いついつになるまでに」などと私たちはよく言います。目標を立てるのはすばらしいことだけれど、予定通りにいくとは限りません。所詮、暦は人が決めたもの。人の心が完全に一致することはないのです。
今朝も、熟睡中にアラームが鳴って、布団の中でしばらく見えぬ敵と戦いましたが、例えばそういうことです。
6時になったら起きよう。あ、ごめん、嘘。あと5分だけ。

ときには、「準備中」のプレートを付けながらでも、「今日やるぞ!今すぐやるぞ!」と決めて、行動を起こすことも必要なのかもしれません。
アラームよりも先に目覚めてしまった夜明け前の、違和感と新鮮さが混じったような気持ちになるはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?