見出し画像

慈愛と暴力、それと限りなく透明に近いブルーを読んだ感想について少し

最近また小説を読むようになりました


高校以来、ビジネス書や実用書、あとは教科書など主に情報を摂取することが目的の、どちらかというと無機質な本ばかり読んでいました


それはそれで新しい知識が入ってきて、無知だった当時は知らなかった世界を詳しく案内してくれるような感じで、好奇心の赴くまま楽しんでいましたが、やはり何事も同じものばっかりは良くないなと、おそらく食傷気味になったのでしょう


それにYouTubeやTikTokは近頃はもうどうにも体が受け付けなくなってきて、だらだら見ていることに嫌気がさすようになってきました
長くても2,30分で終わらせるようにしています
(まだ20代前半!でもみんなそうじゃない?そんなことない?)


映画も好きです
手軽なコンテンツに慣れすぎてしまっていて、2時間3時間じっと観ているのは最初は少ししんどいかなとも思ったけれど、それももう全く大丈夫です


この前はグリーンブックという映画を観ました
いい映画でした


あとはヴィーガンズ・ハム
これはおもしろクソ映画でした
グロいけどくだらなくて楽しめました



本の話です

小説読みたい欲が高まってまず手に取ったのは、西村賢太の苦役列車でした

なんでそれを選んだのかはもう覚えていませんが、何かで見たのでしょう

その本についてはまたいつか書きます


ああ思い出しました、芥川賞を取った作品をとりあえず読んでみようということでした

それで苦役列車を読み終わった後に、限りなく透明に近いブルー(以下「限りなく」)です


個人的に苦役列車はするすると読み進めることができました
文体も好みで、どろどろした感情に共感できるところもあり

一方で「限りなく」は、これは僕の読解能力に起因するのかもしれませんが、冒頭から状況がぐちゃぐちゃで、鉤括弧も付いていたり付いていなかったりで誰がどこまで喋っているのかも分かりづらく、ドラッグやセックス描写が大半で過激な官能小説でも読んでるのかってくらいハードでした



物事に対するキャパシティは大きい方なので、キツくてもう読んでられない!ってことは全くなかったのですが、普段見慣れない世界、薬物を当たり前のようにキメてたり、黒人とのホモセッ◯ス、乱行などを生々しく描写するものですから、キツイ人にはキツそうですね

絶対こいつ経験者だろって思いながら読んでました、だってねちっこくて生々しくて何となく想像できるんですもの
小説家ってすごいなぁ


面白いか面白くないかで言ったら、まだわからないというのが正直なところで、今日読み終わったのでもう少し自分の中で噛み噛み(咀嚼)してから決めようかなと思います
そんなに長くないので結局2日で読み終えました

皆さんもぜひどうぞ


それでタイトルの話ですが、

「限りなく」のゴリゴリの性描写、暴力描写を見ていて、確かにグロテスクではあるけれど、なんかちょっと分かるなあと、


分かるなあというのは、ベクトルは違えど、人には動物由来の暴力性がどこかにあって、またそういったものを発露させたいという気持ちが、どこかにあるなあという、常日頃思っていることの再確認のようなことです

彼らは思いっきり実行していますので、「限りなく」の文脈というより暴力的なそれそのものについてです


女の首に手をかけるのが好きなんですよ
力を入れて絞めていくのが

苦しそうにする(「苦しむ」ではない)様子がたまらなく好きなんです

かわいそうだからしないけど、本当はもっと、自分の中のもっと暴力的な何かをぶつけたいとも思うけど、かわいそうだからしないんです
血とかは嫌いですし、傷ついてるのもなんか違うなとも思うし
綺麗に痛めつけたいです


一方で、こちらの方が通常ではありますが、

人を慈しむ心があって、優しく、穏やかな日々を望む気持ちとともに、
汚れたものなんて一つもいらないから、二人だけで純粋に愛し合いたい!
助け合い最高!人の温かみだけが好き!

みたいなピュアな感情ももちろんあるんです

相反する感情のギャップにクラクラするときが往々にしてあります
セックスしてる時とか、大体そうか

ベタですが理性と本能、みたいな、全く擦られたくだらない表現です

例えば
本当に好きだと思う人に暴力性の矛先を向けていいの?

とか

かといって潔白な愛だけを共有してればいいの?

とか

バカな問いだとわかってはいるんですよ
でもバカだから一度浮かぶとなかなか消えてくれないんです

無駄に考えるから疲れるのに


リュウは残虐で異常な経験をあたかも当たり前の出来事のように消化していますが、心のどこかでは酷く傷ついていて、最後には黒い鳥をみます

骨の髄まで狂っていれば、壊れることもないのでしょう
別にそれが普通だから

ただ、おかしなものをおかしなものだと思える感覚があるからこそ、狂うのだと思います

オキナワの言うフルート、人の持つ暖かさ、温もり、愛
並べると気味の悪い綺麗事みたいですが、そうありたいという気持ちはみんな持っていますよね


享楽に逃げるのは簡単でしょうが、その代償は、色々な意味で大きいのでしょうね

すると逃げた先には、破滅しかないですね
ああいうの明らかに体に悪そうですし


でも、人間は動物ですし、理性と野生の危ういバランスの中で生きているのかもしれません


そしてどうも僕は、心のどこかでああいう退廃的な生活を、その果ての破滅のような何かを望んでいるようでならないのです

最近刺激が足りてないのかなあ
でも割とずっと思っていることです

だから、好きでもない人の首をまた絞めることにします
次はもうちょっと強めに







あとがき

なんかそこそこ真面目に文章書いていると途中で疲れて嫌になるんですよね
散歩してる時は頭の中に名文がすらすら湧いてくるのに

喋る方が簡単でいいや、得意だし

あとずっと前に、別に使う予定もないんですけどこのnoteのSNSアカウントつくろうと思ってInstagramとTwitterでアカウント作ったんですよ

インスタはもちろん無事できたんですけど、Twitterでつくった直後にIDがなんか気に入らなくて変えようと思って変えたら凍結させられました
まだなにもしてないのに

システム的にbotっぽい動きだったんでしょうけど、うざいです
いいじゃんちょっと変えるくらい、直してくれないし

どうでもいい話でした






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?