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信仰の旅を導く光

[へブル人への手紙 4:12,13]

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。

今日の聖書箇所
ヘブル4:12〜16

今日もヘブル書から恵みをいただいていきたいと思います。

信仰生活の旅は楽な旅ではありません。せっかく救いの恵みをいただいても私たちの肉は絶えずかつての古い自分へと引き戻そうと強力に働いてきます。この世は信仰の旅ではなく,肉が喜ぶ安楽な道へと絶えず誘惑してきます。悪魔は吠えたける獅子のように隙を狙い神の言葉を疑わせ,神の言葉に背かせようとしてきます。

信仰生活をしながらもこの世のことだけを思い,考えているなら,なんで自分だけこんなことをしているのか?なんで自分だけこんな道を歩んでいるのかと分からなくなってしまうことも多くあるのではないでしょうか?

ヘブル書の著者はそんな状態になっていたユダヤ人クリスチャンたちに信仰の旅を最後まで続けることができるようにと大きな恵みの手段を二つ教えるのです。

その一つが神のことばです。

神のことばはサーチライトのように私たちの罪を示し,隠れた肉の思いを明らかにし,そして暗闇の力の働きを真理の光で明らかにしていきます。それによって罪の悔い改めへと導き,御霊の思いを与え,暗闇の力から私たちを解放するのです。

しかしそのプロセスは両刃の剣に刺し貫かれるような痛みを伴います。私たちの中に健康診断が好きという人がいるでしょうか?健康診断をするなら何か悪い部分が見つかるのではないかと恐れて,健康診断をしない人もいるくらいです。

人が最も苦しいことの一つは自分の罪や傷や汚れをはっきりと知るということではないでしょうか?肉の私たちはそんなものは知りたくもないし,見たくもないのです。それがあると漠然とは感じていても,あたかもそんなものはないかのように過ごしていたいのです。

神のことばの前に立つ時,そんなものはないと思っていた罪や傷や汚れが明らかにされてしまうのです。それは霊的な健康診断のようなものです。その診断はこのままでは霊的な死に至るという場合もあるのです。それを聞くこと,知ることは痛みを伴いますし,本当に苦しいことです。

それゆえ多くの人がそこから逃げ出してしまったり,神のことばが間違っていると言うのです。しかしそうしてしまうなら霊的な癒しと回復のチャンスを自ら拒むことになってしまいます。

ところが神のことばという霊的健康診断を謙遜に受け入れ,悔い改めという治療を受け入れていくなら霊的な癒しと回復が始まり,私たちの弱ったひざは強くなり,私たちはどんな躓きからも立ち上がることができるようになっていくのです。

[へブル人への手紙 12:11,12,13]

すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。また、あなたがたは自分の足のために、まっすぐな道を作りなさい。足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです。

しかしそうは言っても,このような霊的な回復へのプロセスは簡単ではありません。人はみなそれほど強くはなく,弱い存在だからです。人はみな正しいことだと分かっていてもそれができない者であり,必要だと分かっていても訓練など受けたくないのです。

それゆえヘブル書の著者は両刃のように鋭い神のことばだけではなく二つ目に恵みの御座に近づくことを勧めるのです。

主は罪は犯されませんでしたが,私たちのすべての弱さを知り,私たちが体験するあらゆる誘惑を通過してそれに勝利されたお方だからです。

[へブル人への手紙 4:15,16]

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

罪もとがも弱さもあるまま,祈りを通してまさにありのままで主の恵みの御座に近づくことです。その時,まさに折にかなった助けを何度でも受けることができるようになり,神のことばによる霊的な癒しと回復への道を主と共に歩み続けることができるようになり,霊的な成長へと導かれていくことができるからです。

主がわたしの手を 取って下さいます
どうして怖がったり 逃げたりするでしょう
優しい主の手に 全てを任せて
旅ができるとは 何なんたる恵みでしょう

ある時は雨で ある時は風で
困難はするけれど 何なんとも思いません
優しい主の手に 全てを任せて
旅ができるとは 何たる恵みでしょ

いつまで歩くか どこまで行くのか
主がその御旨を 成し給たもうままです
優しい主の手に 全てを任せて
旅ができるとは 何たる恵みでしょう

誰だれもたどり着く 大川おおかわも平気です
主がついておれば わけなく越えましょう
優しい主の手に 全てを任せて
旅ができるとは 何たる恵みでしょう

この賛美を歌って今日も信仰の旅路を歩んでいきたいものです。

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