「怠惰の美徳」中間感想文・前科について

怠惰の美徳を読んで気になった部分があるのでそこについて忘れないうちに

人の前科についてのお話である。

 戦争を体験していない私でも創造に難くないことであるが戦時中はあらゆるものが不足していた。食料や衣服、住む場所など国の決める法、正しいことだけをしていては自分が生きていくことができない状況にあった。

 そのような状況に置かれた人は自分の命や家族の命を守るために時に法を犯すこともあっただろう。闇市で食料を買い求めたり盗むことや奪うこともあったかもしれない。現代において法を守り生きている私たちはそのことを批判できるだろうか。私が悪いことをせずに生きていくことができるのは私が悪いことをせずに生きていける環境にあるからである。

 場合によっては法を犯し、悪いことをすることができるというのは多くの人に共通しているのではないか。自分の内側に秘める倫理に反した行動を起こす力が発揮されていないだけで環境次第ではだれでもそういった行動を許す部分があるのではないか。
 これを前科と呼んでいた。

これを通して私は現代の社会について考えた。

 ある事件が起これば被害者と加害者が存在する。加害者は悪者として逮捕されるがそれで終わりではない。加害者が加害者になってしまったのは、加害者が社会の被害者であるからという構図が存在する。しかしながら社会の被害者を生み出した者たちは裁かれず、そのニュースを見ながら被害者に同情し「物騒な世の中だ、怖い」などという。本当に怖いのは加害者を生み出したにも関わらず被害者側の立場でニュースを見ている者ではないだろうか。
 
社会の被害者を減らすために自分のうちにある前科に気づくことが必要ではないかと考える。自分の環境が自分を加害者にさせないだけであり心のうちにある自分の前科を意識すればテレビに映る極悪人も自分も大して変わらないのではないかという気持ちがする。

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