「今だけ、金だけ、自分だけ」で誰も困らない日本

「今だけ、金だけ、自分だけ」の今の社会がけしからん、こんな社会ではダメだ。
さう言ふと誰もがさうだと思ふらしい。
今、岸田メガネとか言って日本の政治を嘆いてゐる人たちは、思想のミギヒダリにかかはらず、
「今だけ、金だけ、自分だけ」の今の社会がけしからんと言ってゐる。

晩年の司馬遼太郎氏とか、最近のビートたけし氏や養老先生とかのやうに、とにかく金だ、名誉だ地位だ、自分さへ良ければいい、弱者のことなんかどうでもいい、といふ社会が嘆かはしいらしい。
けれども、今の日本では、誰も、
とにかく金だ、名誉だ地位だ、自分さへ良ければいい、弱者のことなんかどうでもいい
なんて言ってない。

むしろ、
ほんたうに大切なものはお金で買へない
人になんと思はれようと、自分がほんたうにやりたいことをしたい、自分の夢を追ひ続けたい
と小学生みたいなことばかりSNSに書くし、口でも言ってる。
そして、競って、
弱者のことを思ってますと表明してゐる。

今の日本では、弱者とは、被害者だ。気の毒な被害者が、弱者だ。

ジャニーズ問題とかワクチン被害者とか不法滞在者として留置されてゐるうちに病気で亡くなった外国人とか、
とにかく気の毒な被害者を探して、その人たちの気持ちに寄り添って、加害者を罵ることが、
大衆にとっては、
「今だけ、金だけ、自分だけ」の政治家たちのことを嘆き悲しむのと同じくらい人気を博する娯楽となってゐる。

どうしてかうなるかと言ふと、
誰もが「今だけ、金だけ、自分だけ」で生きてゐても、誰も困らない社会に、わたしたちが生きてゐるからだ。
さういふ社会の別名は、福祉国家だ。
なにか困りごとがあれば、公共の機関が解決してくれるのが、福祉国家だ。
個人の生きづらさすら、国家が面倒をみてくれるし、さうでなければ、
「若者が(老人が、障害者が、女性が、子供が、トランス男女が、性の定めのない人が、あらゆる種類の難病の人たちが)希望を持って生きることのできない日本でいいのか」といふことになる。

社会に抜本的な改革を必要とする問題や、なんなら革命しなければどうにもらない問題があるときは、まだ、人間は生きる目標を見いだせる。
ぞっとするのは、福祉国家ができあがって、誰もが、
「今だけ、金だけ、自分だけ」
で生きてゐても、誰も困らない社会が来ることだ。

「今だけ、金だけ、自分だけ」で生きると、完全に自己が空洞化する。
未来や、金以外の何か、そして、他者の要求を拒んだり受け入れたりすることなしに、自己は存在できない。
だから、今の日本では、政治的な問題が何かあるべきなのだ。
「今だけ、金だけ、自分だけ」で生きてゐてはダメだといふ理由を誰かが示してくれて、そんな生き方ではダメだといふ事態が生じるべきなのだ。

たとへば、食糧危機。
昨年末から今年のはじめには、日本が食糧危機になって食を奪い合って人々が殺し合ふといふ予言をいくつか聞いた。
そこまで悲惨な事態でなくても、「もうすぐ日本は大変なことになる」といふ話をして、本を売り、講演をして、YouTube動画の再生回数を稼いでゐるインテリ芸人がけっこうゐる。

かういふ芸人の需要があるのは、わたしたちが、
なんとか、声高に
「『今だけ、金だけ、自分だけ』で生きてゐてはダメだ」

司馬やたけしのやうに
みんなで叫べる世の中を求めてゐるからだらう。

そんな世の中なら、今ほど、退屈ではないはずだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?