一方通行の道

 道が細くなったと思ったら一方通行の道だった。引き返すのが面倒なのと、自転車だからいいだろうといふ思ひで、そのまま進んだ。電車の線路に沿って進む道は、反対側に人家もなく柵だけが続いてゐる。人気もないし、自動車が来る気配もなくひっそりしてゐるから、踏み切りのある大通りまで逆走していけると思った。
 ところが、しばらく走ったら、前から突然降って湧いたやうに小学生の列がやってきた。道の片側の柵の向かうは、どうやら、学校らしく、そこから出て来たのだらう。狭い道には歩道がなくて、道の端を白い線で区切って人の歩くところとしてゐる。区切られた道の幅は、人が二人肩を並べてやっと歩けるくらひだった。
 引率の先生が「片方によけなさい」と言ってゐる。逆走してゐる自分に非があると思っているから、狭い所をますます縮こまらせて歩かせるのは心苦しくなって、車道の方に出て小学生の列に白い線で区切られた道を譲った。
 前から自動車が来る前に走り切ろうと急ぎ出した。元々が坂道なのだが、あわてだすと坂の勾配が増したやうに感じる。もっと速く走りたいと思ふから坂をよけいに急だと感じるのだらう。
 息を切らしてゐたら、小学生の列の中から一人の男の子がこちらに身体を出して片手を広げ、「こんにちは!」と言った。
 ぼくは何とも返事が出来なかった。
 ただ少し笑った顔をしたと思ふ。声が出なかったのは残念だが、自分としては咄嗟に表情が出ただけでも大したものだと思ったが、しかし、子供の方ではせっかく挨拶したのに無視されたと思ったかなと気になった。ああいふ見知らぬ大人にでも挨拶するやうな子供だから、相手が返事をしなくても大して気にはしないだらうと自分に言ひ聞かせながら走った。息が切れるのが罪悪感を紛らはす助けになってゐるやうで、ちゃうどよかったと思ってゐる。
 さうしてゐるうちに、なんとか前から自動車が来ないうちに狭い道を出て大通りに出た。
 大通りは電車の線路を踏切で渡ってゐる。この踏切を渡ることにした。
 踏切を渡ると、道は三つに分かれた。正面の道は何か学校のものらしい正門に続き、この道を行くと学校らしい場所の敷地に入ってしまふようだ。つまりは三つあるといっても一つは行き止まりのやうなものだなと思った。あとの二つは右と左にすっぱりと分かれてゐる。右の道は線路に沿ってゐる。ここを行くと、おそらく来た所の近くに戻ると思はれる。
 それで、左の道にした。この道がどこへ行くのか見当がつかない。道は下りだったから、どんどん進む。ゆるやかに曲がっていくから東西南北の方角がわからなくなってきた。知らない場所で方角がわからないとぼくは落ち着かない。
自転車なんだからなんとかなると自分に言ひ聞かせて走る。けれども動悸が高まって不安が増していく。
ふと左を見ると大きな池が下に見える。そちらに入る道がある。入った道は舗装してゐない。土の道だった。自家用自動車が一台やっと入れる幅だ。この土の道が池に沿って曲がっていく。元々は池の土手だったのだと思う。自然な土手を、おそらくコンクリートなどで補強してから土を被せて自然な様子に戻したのだらう。池の周囲は樹木が豊かだが、並び方が明かに人工的だ。自然らしく見せようと人が整備したとわかる。大きな池だったから池そのものは百年以上の昔からあるのかもしれないが、この何年かの間に池の周囲は「公園」になったのだろう。
名前がありさうだと思って看板を期待したが見当たらなかった。
しばらく走ると、池の端に降りていける階段があった。階段の前に自転車を置き、歩いて池のほうに降りてみた。
池は柵に囲はれてゐる。池は大きくて、道が池をぐるっと取り囲み切れてゐない。池の半分の端まできて力尽きてゐる。後は柵なしですぐ池の端である。ここから見る向ひ側が、自転車で走って来た土手だ。あそこを走って来たんだとな眺めながら歩いた。
道にはところどころに石のベンチがあった。一つのベンチに老人が座ってゐた。携帯電話を耳に当てて何やら大きな声で話してゐた。そこを過ぎると、大きな池に付属するやうに菖蒲の植えられた小さな池があった。池の中にはジグザグの板を通ってゐる。そこを行くと東屋がある。東屋を過ぎると、また、大きな池の正面に戻った。
そこに立って池の面を見たら、波一つ無い。まさに鏡面だった。と思ったとたんに、そこにVの字が出た。Vの字の波を広げながら、何かが水面を滑って来た。
だんだん近づいてくる。何が動力なのか、ほんとうに水面を滑るやうに近づいてくる。不思議だと思ってゐたら、Vの字の先端は鴨だった。まだ大人になりきってゐない大きさの鴨が目の先まで来た時に、ぼくのすぐ脇に人が立ってゐるのに気づいた。初老のがっしりとした体格の男性が、胸元からよれよれの食パンを出すと、千切って、鴨に投げた。さっき電話してゐた人とは違ふ。
鴨は、この男性を認めていそいそと泳いできたらしい。信頼しきってゐるやうだ。可愛いものだなと思った。しかし、人に慣れ過ぎるというのも危険ではないかとも思った。
ぼくは、さっきの罪悪感について考えてゐた。見知らぬ大人に挨拶する子供は、無視されても、それよりも自分の挨拶に応へてくれた大人のことを記憶として頭にしまふのだらう。いろんな人がいろんな反応をする中で、自分が好む反応を集めて、自分の持つ人間観や世界観が正しいといふ証拠にする。人の認識とは、さういふものではないのか。でなければ、自分がどこにゐて、どんな人たちに囲まれて生きてゐるのか、わからなくなる。本来、わからないことが確かにわからないと気づいてしまふ。
鴨にパンをやってゐた男性にいつも餌をあげてゐるんですかと尋ねたら、ニコリともしないまま、この辺の鴨は図々しいとか、子供たちが時々鴨に石を投げるとか、あれこれと話をしてくれた。話し続けても、相変はらず笑顔をまるで見せないが、話しかけられて迷惑だとか、話をするのがいやだとかいふうには見えない。次々と話題を変へて自分だけ話してゐる。
胸にはカメラを提げている。小さいカメラだが、精密に作られているやうに見えた。よくわからないが、写真に詳しい人ならあっと驚くような、ひどく有名でとんでもなく高価なカメラではないかと思った。そんなカメラだといふことを愛想の無い顔によって示してゐるやうにも見えた。カメラだけでなく、服装にも目がいき、靴も見た。奇をてらふことはないが、自分の生活の仕方に相当拘りのある人に見えて来た。家族の前でもあまり笑はないのか、あるいは、打ちとけた人には幼いやうな笑ひを見せるのか、どっちかなと思ひながらもう一度顔を見た。
ぼくに挨拶した、あの子供は、この男性くらいの歳になった時、どんなふうに、この男性くらゐの初老を生きてゐるのだらうかと思ひながら、ぼくは自転車を置いたところに戻って行った。

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