わたしに関する物語


また引用してしまった。
ほんとに考へさせてもらへる記事です。
わたしは川端文学は苦手なんですが、『眠れる美女』と『伊豆の踊り子』は時々読み返してゐます。

最初の女は「母だ。」と江口老人にひらめいた。「母よりほかにないぢやないか。」まつたく思ひもかけない答へが浮かび出た。「母が自分の女だつて?」しかも六十七歳にもなつた今、二人のはだかの娘のあひだに横たはつて、はじめてその真実が不意に胸の底のどこかから湧いて来た。冒涜か憧憬か。江口老人は悪夢を払ふ時のやうに目をあいて、目ぶたをしばたたいた。しかし眠り薬はもうだいぶんまはつてゐて、はつきりとは目覚めにくく、鈍く頭が痛んでくるやうだつた。うつらうつら母のおもかげを追はうとしたが、ため息をついて、右と左との娘のちぶさにたなごころをおいた。なめらかなのと、あぶらはだのと、老人はそのまま目をつぶつた。

自分のセクシュアリティについてはもう書き尽くしたと、ちょっと前に思ったけど、まだまだあるみたい。


母親が最初の女だ、って、そんな老人にならないと思ひつかないことなのかしら?
わたしはフロイトを読んだ時、確信しました。

ただ、最初の女が母親だと納得してしまふのは、乳幼児期に母親と完全に繋がるといふ体験をしてないからではないかと思ひます。
乳幼児期の母親との関係は心身一如で、刻々のやり取りをからだでのつながりでありこころでのつながりとして体験してゐる、とわたしは思ひます。
大人になってからでは、母子の関係と類似するものは、セックスくらゐだと思ひます。かういふ心身の境ひ目が曖昧になる融合的な交流を、人間は乳幼児期に堪能する必要があるのではないかと思ひます。
だから、その時期にイクメンとかいふことで軽々しく男の体で乳幼児を抱いていいのかなと思ったりもする次第です。

フロイトの性欲論三篇を読んで、わたしは自分を次のやうに分析しました。わたしは、母親からの眼差しと触れてもらふこと抱いてもらふことが不足してゐた。そのため、見られること、拘束されることを求めて満たされることが無いからだ(=こころ)になってしまった。

わたしは、自分が何歳から自慰を覚えたのか、わかりません。物心ついた頃から何かしら心身にどうしても埋められない空虚があって苦しんでゐて、それを一時でも埋められた気がするのは自慰をするときでした。

房事でbondage(をされるの☆)が好き(といふよりそれが無いとダメ)なのも、やはり、ものごころついた頃にはさうなってゐました。

☆ベタだけど、わたしは、緊縛されるといふ変態行為の中にほどけてしまはない確実な(絶対安心を与へてくれる)bondを求めてたと思ひます。

わたしが幼い頃の実家ではみんな布団で寝てゐて、その布団を全部、縁側で干してゐました。そして、家の中に取り込む時、或る場所に干した布団を積み上げる。
わたしは、一枚目の布団の上にうつ伏せになって横たはり、姉に頼んでその上から残りの布団をかけてもらふといふことを、或る時期、くりかへしてました。四歳?よくわかりません。四歳以前なのは確かです。
動けなくなるのが好きだったのです。押しつけられ苦しくても、それから逃れるには姉に頼むしかない状態なのに、むしろ、それが嬉しい、やめられない。
今から振り返ると、ヘンタイなマゾぶりを、幼児のくせに発揮してゐたわけです。たぶん、そのときに腰をもぞもぞさせて自慰を覚えたのかも。それで余計にやめられなくなったのかもしれません。

その時のわたしは、母親に抱かれてお乳を飲みながら眠りに落ちさうな赤ん坊、になりたかったのだと、今は思ってます。


いつからか、わたしがどんなに頼んでも姉に断られるやうになりました。わたし自身は、その時、布団の中で自慰をしてゐたといふ記憶は無いのですが、姉から見ると「変なこと」をしてゐる顔に見えたのかもしれません。実際してたのかも。
わたしはさうして布団に挟まれてる時間がずっと続いて欲しいといつも願ってゐて、姉が、
「しょう、もうええやろ。苦しいんやろ。布団、押し入れに運ぶで」
と布団をはがし始めると、泣きたいやうな寂しさを感じたのを覚えてゐます。泣いたこともあります。
どんな楽しい時間も終はる、とその時から思ふやうになりました。

やがて、姉に頼むたびに、
「そんな変なこと、したらあかん」
と断られるやうになりました。
仕方なく、わたしは、積み上げた布団の間に自分で入り込まうとして布団の山を崩し、姉にたいそう叱られる、といふことをしばらく繰り返しました。

わたしの自己分析が事実なのかどうかは、わかりません。精神分析でわかるのは、自分がどんな物語を作ってゐるかだと思ってゐます。
人間が生きるには物語が必要で、特に自己に関する物語は、うかつに作ったり、作ったものであるといふ自覚がなかったりすると、自分で作り出したものに、自分が支配されることにもなります。
精神分析は、科学ではない。治療にも役立たない。
ただ、自分の作り出した物語をメタ認知する、つまり自覚する道具にはなると今でも思ってゐます。
残念なのは、自覚したからどうなる、といふものではないこと。たいていの人にとって、
わかっちゃゐるけど、やめられない
といふことになるのではないでせうか?

自分を変へるには、誰か、自分に本気でかかはってくれる他者がゐないと無理だと思ひます。
そして、誰かに本気でかかはるなら、誰かの人生の伴侶となってしまふと思ひます。
わたしが心理カウンセラーを辞めたのは、誰かのこころを本気で治したいと思ったら、相手が老若男女の誰であれ、共に人生を送る「伴侶」になるしかない、と思ったからです。ほんとに心を病んでる人に関してですけど。

カウンセラーは人のこころに寄り添ふ、とか軽々しくいふけど、自分がやってみようとしたら、その意味はプロのカウンセラーが言ってたより、はるかに大きいとわたしは思ひました。

プロのカウンセラーの寄り添ひは、売春婦のそれなのだと思ひます。お金のための、その時だけの、局部的快楽を与へるためだけの寄り添ひ。
売春と同様、さういふカウセリングも需要があり、精神の保健に役立ってゐることは、言ふまでもありません。
ただ、病んでる心を、そんな寄り添ひで治すのは、無理です。






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