なぜ人は争ふのか

前のアカウントに、2023年8月に公表した記事。
一部加筆訂正して、この「続☆高木鉦太朗」のアカウントに再掲します。


 人が争ふのは信じるものがないからだ。

 それでは宗教戦争の説明がつかないと思ふかもしれないが、宗教が戦争を生み出すのは、かういふことだ。
 つまり、疑ってゐるのに信じてゐるふりをしてゐるとき、信じても信じきれないときに、敵を見つけて戦ひを始める
 宗教とは究極の真理であるはずなのに、イスラム教などは最初から二つの宗派に分かれて殺し合ってきた。真理でないことが心の底ではわかってゐるからだ。
 異教徒を殺してきたキリスト教もそれを見習ったのか、宗教改革を行って真理とされてきたことの欺瞞を暴いた。
 そして、同じキリスト者同士で殺し合ひを始めた。

  
 わたしは救ひがたい懐疑主義の不可知論者であるが、信心のある人が好きだし、尊敬もしてゐる。いつか、自分も信じる人になりたいと思ってゐる。

 信じる人に、わたしは、憧れる。
 信じるものを得た人は、もう、誰かを傷つけたり、何かを奪ったりする必要を感じなくなる。

 信じるものがあって心が安らいでゐる人は、その自身も含めて誰とも、争はない。
 争ふ必要が無いからだ。
 あらゆる種類の闘争は、安心を求めて行はれる。

 信じるものがある人は、自ずと安心を得るから、もう、争はない。


 今、保守派ビジネスでは、盛んに縄文時代が理想化されてゐるが、それは、この時代に「戦争の痕跡がみつからない」ことが主な理由だと思ふ。
 人がまがりなりにも社会を築いてゐながら、その中に党派をつくって殺し合ひを始めることがなかったやうな時代、さういふものがあったのだとしたら、確かに、理想化してよいと思ふ。
 
 わたしの意見としては、ほんたうに戦争が無かったのなら、縄文時代の人々は、何かを信じてをり、それは疑ひを封じ込めるための狂信的儀式(ヒトや動物の生贄など)を必要としない、穏やかな信心だったのだと思ふ。

 さういふものは、言葉による教義や、抽象的な神の概念を持たないから、宗教以前の自然崇拝や精霊信仰などと学者には分類されるやうだ。

 けれども、わたしとしては、宗教と言ふには漠然としすぎてゐる神道的な(それも、寺院を真似た神社や、理屈を並べた祝詞が考案される前の原始神道的な)感性こそが、信仰である。
 つまり、木や岩や山を畏怖することのできる・豊かで深い感受性が、人の心に安らぎをもらたす信心の本質だと思ふ。
 そして、それを可能にしたのは、自然環境だとわたしは信じてゐる。
 日本の神道においては、神々も自然が生み出したのだ。
  
 だから、またしても、温帯の島国の風土、といふ話だ。
 或る植物が、一定の気候の特定の土地に繁茂するやうに、争ひを生まない宗教、人の心に安心をもたらす素朴な信心は、一万年前くらゐからの日本列島の自然環境が生み出した。 
 ・・・と、わたしは思ってゐる。

 だから、神道は、神社神道に包摂されながらも生き延びた。それは4分の3が山だといふ日本列島の自然が保たれてゐて、そこに神々が移動したからだ。
それで、本来の神道(原始神道)が、科学文明のもたらした都市化によっても消えなかった。わたしは神社を否定するが、それにしても、神社は神道とのつながりを維持してゐる。
だから、会社のビルの屋上に稲荷の社があって、正月には工場のロボットに餅が供へられたりする。さうすることで、日本人は何かしら安心を得て、感謝を奉げる何かを見出すことができ、都市生活の中でもなんとか正気を保ってきた。
これが可能だったのは、その社に象徴されるものが、日本列島の自然の中の実体として存在してゐるからだ。

 かうして現代日本人の心の中に(当人たちに気づかれないまま)生きてゐる神道は、たぶん、近い将来、日本の気候の変化と共に消えてゆくのだと思ふ。
 
 これを教義や言葉による記述、つまりは「宗教化」によって存続させることはできない。
 あくまで、風土と人のハーモニーとしての信心だったからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?