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27歳0歳目「ギフト」

27回目の誕生日を迎えた今日、思いがけないプレゼントをもらいました。それは、ものでもお金でもない、「ことば」のプレゼント。

その人が贈ってくれたのは、視力と聴力を失った重複障害者でありながらも教育者として活躍したヘレン・ケラー師の言葉でした。

「世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。それは、心で感じなければならないのです。」

心で感じること、自分の心に素直に生きることが大切。頭ではわかっているものの、それは不安で、難しいこと。だから、私はこれまで、目で見えるものや耳で聞こえるものを頼りに生きてきました。

だけど、それでもどこか「感じるままに素直に生きたい」という想いは心の中にあって、「どうしたら、自分らしく生きられるかな?」と、問い続けてきました。仕事や旅先、日常生活で出会う人に刺激を受けながら、「じゃあ自分は?」と問いかけていたんです。でも今思えば、それは自分と向き合おうとしているようで、全然向き合い切れていなかったのかもしれません。なぜなら、「らしさ」を見つけよう、見つけようとするあまり、頭で考えてばかりだったから。自分の小さな感情の動きに気づき、掘り下げていこうとしていなかったからです。

私のこれまでの人生は、与えることよりも「与えられること」を望んできた人生でした。実際、親から、友人から、沢山のものを与えてもらいました。それは形あるものだけでなく、先程のヘレン・ケラーの言葉や、仕事で関わる取材先の人の言葉もそう。どんなプレゼントであれ、私は頂いたそれらを自分のものにして、ひたすらに貯め続けてきました。逆に、自分が誰かに何かを与えるときは、そこにはどこか見返りを求める気持ちや、頂いたお返しをしなきゃという義務感があったような気がします。

冒頭のヘレン・ケラーの言葉に戻ると、彼女の言葉からもう一つ学んだことがあります。それは、「世界で最も素晴らしい、美しい」と感じてもらうためには、愛を持って、全力で人やものと向き合わなければならないということ。たとえば、もらったものを自分の糧にしようと貯め続けるのではなく、贈り主の想いを大事に受け取り、その恩を誰かに送ることも、愛を持って生きることなのかもしれません。恩送りは義務じゃない。だけど、誰かに何かを贈ろうとすることで湧いてくる感情や想いは尊いものであり、送ることで思いやりや愛情は連鎖していく気がします。もらったものが、自分の中で飽和して溢れかえってしまう前に、何を与えてもらったか忘れてしまう前に、自分も誰かに愛を渡していかないと、と思うのです。

これまで26年間でもらってきたギフトを全部思い出すことは難しいかもしれません。だけど、出来る限り思い出したいと思います。まずは、今回の誕生日にもらった「ことば」というギフトを大事にして、誰かに送ることから。誰かから受け取った愛は、誰かへの愛につながるはずだから。そうして、世界に愛があふれていくと思うから。

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