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「AIは小説家になれるのか」 直木賞作家の意見が興味深かった【文藝春秋2024年3月号】

芥川賞の選評を読むために手にしました。
毎回楽しみにしていますが、
偶然にも、面白い記事を見つけました。

『小説家 vs AI』
執筆者は小川哲さんです。
彼は『地図と拳』で第168回直木賞を受賞しました。

直木賞をとった小説家が、AIについてどんな視点で見ているか興味がありました。

「小説家はAIに置き変わるのか」がテーマでした。

結論から言うと、小川さんは「NO」でした。
その理由は面白かったです。


・小説家に必要な能力

「正確なプロンプトを設定する能力」
「魅力的な文章を執筆する能力」

どちらもそれなりにこなせないと
他人に読んでもらう価値がある文章は
書けないとのことです。

前者の「正確なプロンプトを設定する」の中に、
小説に対する知識、教養、引き出しの多さなどが要求されるとのことです。

例えば「AIについて書いて下さい」と言われたら、
小説家は「さらに細かく、限定的にする」作業をしているようなイメージです。

冒頭に生成AIに書かせた文章が載っていました。
「説明できないけど、なんとなく違和感がある」と感じました。

確かに文法は正しいし、小説っぽい文章です。
しかし、主語や述語はバラバラだったり、
隠喩表現が統一されていなかったりと、
まとりのない文章に感じました。

・小説家は全ての創作プロセスを言語ができない

AIに指示するためには、
創作プロセスを全て言語化して
指示を出さないといけません。
しかし小説家は、全ての創作プロセスを言葉にできません。

なぜかというと、「人間は愚かで能力不足」
「自分が何をしてるかわからなくなるから、言語ができてない」と続けます。

ただ、その無駄を全部取り払えば、いい作品ができるとも限らないと付け加えています。

・生成AIの壁は「読者としての能力」

初めての読者は誰でしょうか?編集者?
実は、小説を書いた本人です。

小川さん自身は「もの文章を書く能力には自信がないけど、文章を読む能力はそれなりに自信がある」と話しています。

一般の読者は、自分の好みの作品かどうかを判断します。
小説家は、不特定多数の読者の好みであるかどうかを意識して書くそうです。

そして本はただ文章を読むだけではありません。
「本の外側」にある物語を楽しんでいます。

「本の外側」とは、
本との出会いだったり、
読もうとしたきっかけだったりします。

「不特定多数の読者がどんな話を望むか」
そんな問いをもとに、プロンプトを設定できる生成AIが登場したら書けるかもしれないけど、現時点では難しいと予想していました。

・感想

本を書く過程だけでなく、読む過程においても
人間は無意識に考えていることがあることに気づきました

「生成AIにそこまで再現できるのか」と問いを出しているかのようです。

先日読んだ『東京都同情塔』は
まさに生成AIが登場した作品です。

生成AIの回答の部分を読んで
「どこか空っぽ」と感じました。
感情などが抜け落ちているような感覚です。

今回の記事を読んで、
「本の外側」の部分が抜けていたから
そう感じたのかもしれません。

「小説家はAIに置き変わるのか」に対して、
「NO」と言った小川さんも、
単線的な小説や個人で楽しむ小説など、
一部のジャンルではあり得ると予言しています。

少なくともを芥川賞や直木賞の候補作になるような
ある程度複雑な話になると
まだまだ難しいと感じました。

以上、ちえでした。
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