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個人の体験がないがしろにされる!?

高校生の時、文学作品を読みましたか?
約20年前の話なので詳しく覚えていませんが、
少なくとも『こころ(夏目漱石著)』『山月記(中島敦著)』は授業でやった記憶があります。

当時通ってた高校では、夏休みの時期に夏課外がありました。
夏課外だけで現代国語の問題集1冊扱いました。

更に模試の解説講義も聞いてたので、
実際にはもっといろんな作品に触れていたと思います。

しかし、最近は事情が変わってきたらしいです。


・現代国語のルールが変わった

文部科学省のサイトや
学習塾のサイトでも解説されていますが、
記事中の解説がわかりやすいため、引用します。

2022年4月から始まった高校の新学習指導要領では、「現代の国語」で評論文を、「言語文化」で小説と詩歌、古文、漢文のすべてを扱うことになりました。しかし授業はそれぞれ週に2回ずつです。

PRESIDENT記事 井上志音氏発言より

高2と高3の選択科目に「論理国語」と「文学国語」「国語表現」「古典探究」の4つの科目があります。多くの学校ではこれらの中から2つほど選びますが、大学入試の出題順を考えたら、日本の場合は当然、評論を読まなければなりません。

PRESIDENT記事 井上志音氏発言より

驚いたのは、高校1年の「言語文化」で
小説と詩歌、古文、漢文のすべてを扱うことです。
私が高校生だった約20年前は「現代国語」と「古文・漢文」に分かれていました。

古文・漢文はセンター試験に必ず出るので
やらざるを得ません。そうなれば、小説の授業を減らすしかなくなります。

高校2年以降の選択によっては、
ほとんど文学に触れずに卒業する生徒がいても不思議ではないと理解しました。

・文学離れで起こる問題

授業で文学作品に触れないことで起こる問題を
以下のように指摘しています。

個人の体験や具体的な経験をないがしろにする風潮に拍車をかけるのではないかと危惧しています。ある人にしかわからない体験など、客観性がないのだからどうでもいい、という風潮が生まれてくるのではないかと。

PRESIDENT記事 井上志音氏発言より

私はこの指摘に、「ここまで個人の体験や経験がないがしろにされているのか」と衝撃を受けました。

・矛盾する日本の教育

余談ですが、海外の大学を受験するときは
個人の体験を聞かれるそうです。
わざわざ聞かれるということは、
重視していることへの表れでしょう。

更に、最近の書籍やSNSの情報発信を見ると、
売れている書籍や人気のアカウントの発信ほど
個人の体験や考えで差別化できているように見えます。

ノウハウは平凡でも
体験や考え方が個性的な人が多いと感じます。

これらの流れを否定する日本の教育に
矛盾を感じずにいられません。

「1%の情報発信者と、99%の情報受信者がいる」
精神科医の樺沢紫苑氏は、
日頃YouTube動画で指摘しています。
その土壌を強化する教育制度になっていることを
実感しました。

・感想

ここまで客観的な文章の読み方に重点を置いているのは、この本の影響かと感じました。

教科書すらまともに読めない子どもが
増えているという指摘を受けて
客観的な文章を、読みこなすカリキュラムに変えたと思ったのは私だけでしょうか?

しかしこの本の著者は、文学作品を軽視するようなことを一言も話していません。

「文学作品を軽視している」と批判しているのは
現場の国語の先生だけではありません。
私が調べただけでも、
元国会議員や大学教授からの批判もあります。

かつての高校生の立場から見たら、
「わざわざ評論文と文学作品のカリキュラムを
分ける必要があるのか」という感想を持ちました。

分けるにしても、片方しか学べないのは、
バランスが悪いと感じました。

以上、ちえでした。
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