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「結婚間近にふられましたが、幸せは思いがけず突然やってくる。……いやほんと、予想以上の展開だよ!?」 第4話

 (第一話はこちらです)

 そして、今。
博昭と別れて、さんざん泣いてから、10か月たった今。
正直なところ、私は今、それほど傷ついてるわけではないと思う。

 博昭のことは、好きだった。 

 地方銀行に勤める博昭は、職業にふさわしく真面目で落ち着いた人だった。
地に足がついた堅実な生き方をする人で、両親や職場の人を大切にしていた。
ゆったりとした口調で語られる彼の生活は穏やかな輝きに満ちていて、そんな博昭と一緒にいると、落ち着き、安らげた。

 それまでの数少ない彼氏といるときのように、どきどきしたり、ときめいたりすることはなかった。
 けれどそれまでの彼氏とは違い、博昭と一緒にいることは嫌になることはなかった。
 仕事におわれて忙しくしていた私を優しく受け止めて、4年も付き合ってくれたのは、博昭が初めてだった。
 あのまま博昭と結婚できていたら、私は幸せだったと思う。

 けれど、別れた今、不幸かと言われれば、そうでもない。

 確かに博昭と別れたことは辛く、悲しい。
それでも1年も好き勝手に生きていると、案外心は立ち直るものだ。

 たとえば博昭と一緒に見に行った映画がテレビで放送されていても、半年前のように涙がでることはなくなった。
あぁこの映画、博昭とふたりで見たな、面白かったんだよね、なんて当たり前のように考えられるくらい、立ち直っているのだ。

 だからこそ、深夜の両親の嘆きを聞いて、家にいづらくなった。 

 博昭と別れた直後は悲しみが大きすぎて、両親の前で号泣したこともあった。
会社を辞めたときもさんざん心配をかけて、実家にもどって一緒にくらさないかと言われた。
それなのに、いまはひとりでいたいのだと泣いて、さらに心配をかけてしまった。
 
 悪かったなと思っている。

 だけど、今の私はもう、あの時の私とは違う。
ほとんど立ち直っている。
 だけど、昨夜の両親の雰囲気だと、正直にそう言っても強がっているだけだと影で泣かれそうな気がする。

 それは、なんだかとても気が重い。
両親のためを思うのなら、それでもなんどでもふたりが安心してくれるまで、自分はもうだいじょうぶなのだと伝え続けるべきなんだろうけど。

 まだ、そこまでは元気じゃないというか。
疲れてしまった心が、両親に甘えてしまっているというか。
 そんなふたりと顔をあわせるのが辛くて、逃げるように早朝の初詣になんか出てきてしまった。

 ……情けない、なぁ。

 心の中で、溜息をひとつ。
だけど、いつまでも落ち込んでいても仕方ない。

 抹茶オレを飲み終えて、缶を捨てる。
タイミングよく、電車が到着した。
電車の中も、ガラガラだ。

 伏見稲荷の初詣といえば、人だらけなのを覚悟していたのに、意外なものだ。
あるいは、この時間が空いているだけなのだろうか。

 空いている席に座って、スマホのニュースを何気なくチェックする。
と、隣に大柄な男が座ってきた。

 電車の中の席はほとんど空いている。
なのに、知り合いでもない人間のすぐ側に座るというのは、なんらかの意図があるものだ。
 ナンパか変質者か酔っ払いか。
警戒心もあらわに隣の男を横目で見て、どきりとした。

 さらさらの金髪に、澄み渡ったような碧眼。
絵に描いたような外国人、それも見たこともないようなイケメンがこちらを見て微笑んでいる。

「スミマセン」

 男は、私と視線があうと、カタコトの日本語で話しかけてきた。

「フシーミイナリ? ディス トレイン?」

「イエス」

 うなずくと、男は嬉しそうに笑う。
目尻に楽し気な皺がうかぶ。
すると完璧がゆえに近づきがたい整った顔に、親しみやすさが出る。
人生を楽しんでいるのだと、見る人に思わせる顔だ。

「アリガトウ」

 白い歯を見せて笑って言うと、男は手に持った分厚いガイドブックに目を落とした。
それ以上話しかけてくる様子もないので、ほっとする。

 一人旅の外国人は、話し好きの人間も多い。
 一人旅の途中、旅先で出会った人とすこし話をするのは楽しいというのは私にも覚えがある。
他の言語ならともかく、英語はそれなりに話せるから、多少の会話なら付き合うのも構わない。
 けれど彼の行先が伏見稲荷と私と同じだったので、できれば会話したくなかった。
電車に乗っている数分ならともかく、一緒にお詣りにいきましょう、などという展開は遠慮したい。

 私は、彼にならって、自分も彼を気にせずふるまうことにした。
スマホでニュースを軽くチェックして、バッグにしまう。

 代わりに取り出したのは、小説の単行本。
金融がらみのミステリで、最近イギリスで流行しているらしい。

 ずっと会計の仕事をしていたので、私は会計がらみや金融がらみの小説が好きだ。
推理小説も好きだから、そのふたつがかけあわされたものは大好物、という私の好みを知っているロンドン在中の幼馴染が勧めてくれた作者の本だ。

 私の好みを熟知している彼女のおすすめだけあって、この作者の本はとても面白い。
 丁寧な取材に基づく緻密なトリックはもちろん、登場人物たちのキャラクターもたっていて、シリーズものの主人公の男と、友人でワトソン役の男のやりとりも絶妙だ。
 それに世界観があたたかく、読後感がいい。
日本語の翻訳本は、シリーズ第一作が年末に出版されたところだけど、きっと日本でも人気がでると思う。

 もちろん、私は日本語訳版も買った。
昨年は暇にまかせて原書を読んでいたけれど、日本語で読むほうがラクだし、話に集中できる。
どんな翻訳がされているかも気になった。

 下手な翻訳だったらいやだと思っていたのだけれど、それは懸念だったようだ。
原作の色を損なわないように、日本語としても読みやすく翻訳されていた。
おかげで、小説の世界がより色鮮やかに楽しめる。

 小説を楽しんでいると、窓の外が急に明るくなった。
地下を走っていた電車が、地上へと出たのだ。
地上に出るとあと数駅で、伏見稲荷の最寄りの駅につく。

 家を出たときは暗かったのに、もうこんなに明るくなっているんだ。
白んだ空を見て、ほぅとため息をつく。

 そして、ふと視線に気づいた。

 視線のほうへ顔を向けると、さきほどの男が私を凝視している。
いぶかしげな眼を向けると、男は白い顔を赤くしてもごもごと『なんでもない』という。
 先ほどまでは片言の日本語で話しかけてきていたのに、急に英語で話し始めた彼を不思議に思いつつ、軽くうなずいて視線を本に戻した。

第5話に続きます。
(次から画像がかわります)

#創作大賞2023

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