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紳士とステッキ

ある夕方、私はある駅のタクシー乗り場で並んでいた。
既に順番の回っていた、ステッキをついた初老の紳士が、荷物も持って少しずつ進み、乗車しようとしていた。

私の体が珍しくすばやく反応してタクシーに駆け寄り、
「大丈夫ですか何か持ちましょうか?」
という言葉が口を衝いた。

彼が清潔でお洒落で、感じのいい紳士だったからもしれない。
タクシー乗り場は高級住宅街の地域にあった。

私が声をかけたら、紳士は嬉しそうに、
「大丈夫です、ありがとう」
と言ってくれた。
そしてゆっくりと、無事に座席に乗り込むと、彼はまだ開いたドアの外にステッキを軽く上げ、もう一度笑顔を向けてくれた。
素敵な挨拶がちゃんとサマになっていた。

並ぶ列の元の位置に戻っていた私の視界の上ぎりぎりに、その光景は入った。

だけど私が目を上げるのが遅くて、
会釈を返すことはできなかった。

「あ、彼女、もう携帯見てるな」
紳士のその表情で、タクシーのドアは閉まった。

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