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イボ治療腫れた血豆を切開~介護士だった自分が介助をされてみて~

前回までの治療

【治療内容まとめ】


1、血豆の皮の切除

2、傷口を生理食塩水により洗浄

3、ゲンタマイシンで傷口の殺菌とガーゼによる保護

4、ガーゼをテーピング、包帯により固定

5、整形外科にて松葉杖をレンタル + 使用方法のレクチャー



3日経ってもおさまらない血豆の腫れ。全く歩けない苦痛
 

 金曜にイボ治療のため、液体窒素による冷凍凝固治療を施してから3日が過ぎようとしていた。直径5cm、厚さ2cmほどに膨れ上がった僕の血豆は、一向に良くならなかった(画像は衝撃的なので、ここでは掲載しないが、過去記事にて掲載あり)。

 土日に2度血豆に穴をあけ、血抜きをしたものの、血が再び溜まってしまった。踵はすごい熱を持ち、パンパンに腫れ上がっている。健康な時は、扁平足で平らな足だというのに、怪我によって腫れたおかげで、ちゃんと足踏まずが出来ているというのは、何とも皮肉な話だ。激痛のあまり、歩行することも出来ない。
 歩けないというのは、本当に辛い。風呂に入れなくなって、丸2日。トイレも極力行きたくなくて、便秘ぎみになる。トイレで息むと血豆が痛む。不意に血豆がどこかの角に触れると小指をぶつけたなんてレベルじゃないほどの激痛が走り、血豆から、血が溢れ出す。

洒落にならない痛みに、ついにタクシーを呼ぶ。母と弟の介助を受ける


 痛くて仕方ないので、僕はタクシーを呼び、総合病院に行った。総合病院では、院内にて車椅子と松葉杖のレンタルが出来るからだ。母には自転車で先に病院に向かってもらい、現地に着いたら、病院でレンタルした車椅子にすぐ乗れるようにしてもらった。パートの仕事がこの後あるというのに、よく動いてくれる母には感謝してもしきれない。


 母の押してくれる車椅子に乗って、僕は皮膚科までたどり着いた。この日は大変混んでおり、1時間ほど待たされることになった。待っている間に、母はパートに行かなくてはならないため、弟に交代で来てもらった。弟の手が空いていたことも本当に救いだった。

医師による診察~血豆の切開と消毒、保護~


 医師に診ていただくと、あまりの腫れっぷりに、
「だいぶ強く焼きましたね。でも、これだけ強く焼けば、イボは早く治りますよ。」

と言われた。医師は、血豆に太い針を突き刺すと、指で血豆を力強くつまみ、血を絞り出す。正直、これも結構痛いのだが、血豆の圧力が抜けることで踵を圧迫する痛みが少なくなる。患部周りに用意していた血を受け止めるための紙が次々と真っ赤に染まる。血を絞り出す医師に僕は経過を伝える。

「先生、実は今日まで2回ほど血を抜いたんですが、すぐに血が溜まってしまって痛み出すんです。」

 すると、医師は、やはり皮は切除した方が良いと言い、ハサミを取り出した。針で空けた穴からハサミを入れ、ザクザクと皮を切除し始める。痛みは無いのだが、かなりの出血に圧倒される。血豆の上から絞られた血はまだごく一部だったのだ。

 皮膚を切除し終えると、生理食塩水20mlで傷口を洗浄し、ゲンタマイシンという薬を傷口に塗ってもらった。この薬は、火傷などの傷口に細菌が入らぬよう、殺菌する薬らしい。この薬を塗った上からガーゼを載せ、テープで固定し、包帯を巻いた。看護婦により、ガーゼ、テーピング、包帯巻きが済むと、先ほどまでの痛みが嘘のように無くなっていた。歩行は支えが無いと、不可能であるものの、すっかりラクになった。

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松葉杖の使用方法のレクチャーを受ける


 この後、弟に車椅子を押してもらい、整形外科に移動し、松葉杖の使い方をレクチャーしていただいた。


 調べてみると、色々な歩き方が紹介されている。どのやり方が推奨されるかは、医院によって異なるのだろうが、僕は患足が使えないわけではないため、『2段階歩行』という移動方法を推奨された。


<2段階歩行>

1、両方の松葉杖を前に動かすと同時に健足を動かし、地面に着地させる

2、患足を動かす


 初めて知ったが、松葉杖は脇のすぐ下にして、のしかかると、神経麻痺を起こしてしまうらしい。そのため、脇から3cmは空けたところで松葉杖を挟むのだそうだ。松葉杖を地面につける位置は、足から15cm外側かつ、身体より15cm前に開いたところにする。これが安定する松葉杖を持つ位置・松葉杖の長さになるらしい。




【介護士だった自分が介助を受ける身になって思ったこと】



 とにもかくにも左足が全く動かせないほどの苦痛を伴っている以上、車椅子と移動介助は必要だった。今まで介助する側だったが、介助される側になるとは思いもしなかった。

 初めての要介助体験は学びが多かった。迷惑をかけたくない申し訳なさと、頼った方が良いだろう事とのせめぎ合いがすごいあって、瞬時に判断が出来ないのだ。介助をしていた時は、『エンパワメント』という考えが大事にされる。これは、かいつまんだ言い方をすると、持てる力を引き出すため、本人に出来ることは、本人に委ねることを重んじることだ。僕自身、介助される側になってみて思うと、出来ることは自分でやった方が良いだろうと思う。しかし、一度身体に支障が出ると、どこまでが自分に出来て、どこから自分で出来ないのか、本当にわからないのだ。

 例えば、院内で車椅子で移動する時、母や弟に押してもらうべきか、自分で手で操作して移動するべきか悩んだ。院内は、高齢の方も居て、安全面に配慮すべく、車椅子は押してもらう方が良いと思うが、まずここで僕は悩んだ。

 次に、治療後、病院の前にある薬局に、処方箋を持って、薬を受け取る必要があるが、弟に行ってもらうべきか、松葉杖を使って、自分で行けるかも本当に悩んだ。この日、僕は松葉杖の使用が初めてであり、交通量の多い横断歩道を渡るのは、リスキーだった。ここを弟に頼むべきか、自分で行くべきかでも至極悩んだ。

 

 要介助の生活では、どこまでを自分で担い、どこからを介助者に委ねるかの取捨選択をしなくてはならない。介助者に委ねる際は、介助者にわかるよう、自分がレクチャーする指導力が求められる。しかし、大抵うまく伝えきれない。車椅子の操作に慣れない弟にうまく車椅子を扱う術をレクチャー出来ないことにも悩んだ。そんな自分の未熟さに腹が立つ。介助をしてくれる介助者への感謝と、自分自身に湧き上がる罪悪感、情けなさ、頼りたいけど自分でやろうとする責任感。こうした葛藤が絶えず沸き起こる。すごくグチャグチャした思いでいっぱいになる。


 僕は、よく真面目な性格と言われることが多い。責任感があって、自分で何でもやろうとするところがあると言われる。その一方で、人に頼ることが苦手で、うまく甘えることが出来ない。自罰的になりやすいところも長所の反面として出てくる。自分のこうした性格が要介助になると、裏目に出ることが度々ある。これが介助を必要とする時なんだと学んだ。


 しかし、悪いことばかりではない。僕は、自分が介助を必要とする立場になったことで、介助の有り難さを痛感した。介助をしていた時、現場では罵倒されることも頻繁にあったけれど、恐らく、どの利用者の方も大なり小なり、介助者には感謝をしていたんじゃないかと思う。

 勿論、彼らが自分の生活を充実させたいために、精一杯自己主張すること、感情を吐き出す必要があるから、介助をする側は、辛い言葉を受け止める必要がある。しかし、基本的に介助を受ける時は、介助をしてくれる人を信用するし、支えられて有り難さを感じるものだ。

 介助を必要にする時は、毎日、出来ないことを抱え、困難も多い中で必死に自分の生活を成り立たせていく。その中でうまくいかない現実に、妥協しながら、必死に生きている。そんな必死に生きている自分を何とか支えようとしてもらえた時は、やはり、相手を信頼するし、感謝をする。そんなことを今回、ちょっぴり学んだ。

入浴も一苦労

血豆切開後は、入浴の時、傷口を石鹸で洗い、ゲンタマイシンを塗り直す必要があるが、これが結構大変なのである。治りかけているところに重ねたガーゼを剥がすわけだから、当然痛い。

加えて、石鹸で洗うのは、恐ろしく染みる。ポタポタと薄赤い血が垂れる中、必死に石鹸で洗い、流水をかける。

イボは大きくならないうちに、早期発見して、治療が最善と痛感した。


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