山本芳久『トマス・アクィナス 肯定の哲学』(慶應義塾大学出版会、2014年)を読んで。

 本書はトマス・アクィナスの感情論である。パッシオというラテン語の広がりが如何なる意味を持ち、現代の日本に生きる私たちに何を問いかけるかを明らかにする本である。
 『神学大全』というその全貌を捉えるのすら困難な著作で知られるトマス・アクィナス。しかし『神学大全』はトマスの著作の中でもごく一部を成すものであり、分量にして他に六倍近くに及ぶ『対異教徒大全』やアリストテレスや聖書の注解と説教集などの著作群が控えているのである。『神学大全』の膨大さが強調される傾向にあるが、他の著作ではより詳しく取り上げられている主題が『神学大全』においては簡潔に、しかしより主題の焦点を絞った形で取り上げられていることが指摘される。むしろ大全(スンマ)とは要約ないし便覧の意味を含んでいることが本書において暗示されているのである。
 本書の特徴は私たちが日頃経験する日常的な感情を一つ一つ取り上げて、その経験の豊かさを確かめさせる洞察を得られることにある。一見無味乾燥とした『神学大全』の叙述の中に、トマス自身のアリストテレスや教父との生き生きとした対話の様子を見出させてくれる本なのである。「喜びと悲しみ」「愛と憎しみ」「欲望と忌避」「希望と絶望」「恐れと大胆」「怒り」といった感情を捉える際に「愛、欲望、喜び」がどのように関わるのかということが丁寧に一つ一つ紐解かれていき、人間が生きていくうえで与えられている感情という経験そのものの豊かさが提示される。その列挙の方法は優れてアリストテレス的であるが、分析そのものの手法がアリストテレスのそれにとどまらずに有機的な構造を持ったものとして提示されていることも明らかにされる。
 前半において上述したような人間の感情を理解する手掛かりが非常に具体的な仕方で与えられるのだが、後半においてはそれが神学の中でどのような意味を持ち得るのかがスコラ的方法そのものについての問いかけによって明かされる。そこから神の感情とはいかなるものか、そしてイエス・キリストの受難(パッシオ)との結びつきが豊かに描き出され、福音書を読むだけでは触れることのできない洞察へと導かれる。本書の叙述を通して神学がどのような営みであるかが明らかにされていく。その生き生きとした神学の現場を目の当たりにさせてくれる神学入門と言えよう。
 一見近寄りがたい巨大な構築物のように見える『神学大全』。しかしそれが如何に豊かな対話の上に成り立つものであり、豊かな洞察を私たちにもたらすものであるかを本書は鮮やかに描き出す。肯定の哲学という視座を通して読者はマスターキーが与えられるとの著者の言葉は誇張ではない。本書は『神学大全』が恣意的に構築された建造物ではなく、生き生きとした理性的な対話の積み重ねに成り立つ有機体であることを明らかにしてくれるのである。

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