教皇ベネディクト十六世『中世の神学者』(ペトロ文庫、2011年)を読んで。

 中世哲学を学ぼうと思ったとき、どこから手を付けてよいのかわからない読者もいると思う。そうした人にまず勧めるのはクラウス・リーゼンフーバー著『中世思想史』であり、これは中世研究の基礎となる文化史を扱うものである。リーゼンフーバー氏の『西洋古代・中世哲学史』とともに中世哲学を深掘りする人にとっての基礎となるものである。しかしそれでもハードルは高いと思われる方もおられるかもしれない。そのような人に勧めたいのが本書、教皇ベネディクト16世の『中世の神学者』である。
 ベネディクト16世の講話集『使徒』『教父』に続く本書は一般謁見における連続講話を纏めたものである。中世哲学の教科書はどうしても学説の整理であったり、目まぐるしく様々な人物の登場する文化史になりがちである。しかし本書は列伝体の方式を取り、時代順に一人ひとりの神学者を掘り下げていくものである。もともとが十数分で話された内容を文字にしたものなので、非常に簡潔ながら生き生きと一人ひとりの神学者の生涯と思想とを語り、読者に信仰の遺産を確かめさせるものとなっている。重要な思想家については『教父』の時と同様に複数回に分けて取り上げられ、二十世紀を代表する神学者であった教皇ならではの学問的配慮に満ちた叙述が印象的である。
 中世哲学史を学ぶ際に決して避けて通ることのできないアンセルムスやトマス・アクィナスだけでなく、彼らの前後に位置する重要な神学者が取り上げられるのだが、その叙述を通してトマスの思想やスコラ哲学がゴシック建築にたとえられる所以も明らかにされるのである。トマスの神学大全に代表される緊密に形作られている体系をうかがわせる内容が個々の神学者たちの叙述からも感じられるのだが、本書の特徴はそれぞれの神学者が単なる構成要素としてではなくそれ自体が独自の問いかけを持った思想であることを明らかにしてくれることにある。
 生き生きとした一つ一つの話を要約することはできないが、本書の中に記されていた印象的な指摘がある。それはゴシック建築は外から見た荘厳さにではなく内に入った時のステンドグラスの光を通した美しさにこそ特徴があるという指摘である。ゴシック建築は石の聖書として、光を通して見る人に救いを伝え、崇高な想いを喚起する賛美の建物として成り立ったのである、と。本書そのものが信仰の遺産を確かめる意図で始められたものであることを象徴するかのように、一つ一つの物語を通して私たちに豊かな信仰の遺産を伝えてくれるのである。それは単に信仰者にとってだけでなく、その生きた思索の道行きを通してヨーロッパ思想史の一端をも垣間見ることのできる一冊なのである。


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