見出し画像

進撃の巨人ばかりを見て

マンガもアニメも目を通したことのある進撃の巨人。アニメ完結をきっかけにマンガ、アニメともに何回も見るような日々を送っていた。先日ついに胸の奥に収まった感覚があって終わったみたいだった。

ニュースを見ているとガザ地区もミャンマーも進撃の巨人で見た光景に似ている。そこで生きる人々は当然それぞれの人生があって考えがあってただ生きているだけなのに、誰かに恨まれたり攻撃されたり逆もあったり苦しい時間がある。以前は気の毒だなと思って(思ったのかどうかも怪しいが)対岸の火事でしかなかった。今も対岸の火事には違いないけど、入れ込んだキャラクターたちを通してそこで生きる人々に想いを馳せる時間が増えた。

「戦争ってよくないよな」は確かにそうだけど、全員を不妊の体にする安楽死計画が正解なはずはないし、子どもは宝だ!は事実だと思う。自分自身は生まれたから生きているだけで増えようとは思っていないけど、保育士として子どもたちと接する日常を通して宝を感じる。

子どもたちの社会を見ていて思うことはもうひとつ。話し合いによる解決って本当にできるのだろうかという疑問。
「そのおもちゃを貸してほしい」「いーやーよ」のやり取りを見て、無理ちゃうかと思った。ひとりじゃない社会で同じものを欲しくなった時、誰かが何かを諦める必要がある。それは妥協や歩み寄りという言い方をされる。

今回の祭りでハンジ・ゾエを好きになったことがきっかけで、朴璐美が声優をやっているNANAも見た。ゴシップガールみたいだなと思った。作品の構成上仕方ないと思うけど閉じたサークル内でカップルが乱立?多発?するみたいな。「あの子がほしい」「いーやーよ」なんじゃないかな。あの子はおもちゃと違って意思があるからさらにこんがらがるね。

きれいな言葉でまとめるようなトピックではないと思ったからもうここで終わる。私は変わらずただ生きるしかない。俺がこの世に生まれたからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?