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弟の奥さんと、お猿の像をパシャる兄

冷房が効きすぎた車両が、長袖を持ってこなかったことを少し後悔させる。

お盆、帰省、家へと向かう電車の中。1時間弱かかる準急の車両にトイレはなく、身を震わせながら寒さと迫り来る尿意を凌いでいる。

ふと、あたりを見渡してみた。

ムチムチの赤ちゃんを抱いたマッチョなパパ、鮮やかなオレンジ色のパンツを履いたマッシュヘアーの青年、白の有線イヤフォンで何かの音楽を聴いている女の子。

毎日の通勤では同じ車両に乗り合わせた人のことなんてまったく気にもとめないのに、こんなにも周りの人のことが目に入るのは気分が違うからなんだろうか。いつもよりも世界が明るい気がする。

お腹がいっぱいでもスイーツは別腹なのと同じように、実家に帰るたび、苦しいと思っていた自分の心の中にまだちゃんと余裕があることに気がつける。肩の力が抜けて、いつもより心と体が緩くなる。ところでトイレはまだですか。

今日実家には、妹と弟と、弟の奥さんが来る。

あいなぷぅ似の恥ずかしがりな奥さんのことを、ぼくはここでだけ「シャイなぷぅ」と呼んでいる。口数の少ない彼女を笑わせることが長男としてのミッションだと勝手に自分自身に課し、何かしゃべる度にシャイなぷぅの顔色を覗っている。

駅につき、母親に迎えにきてもらい車で40分。実家に着くと、ちょうど弟夫婦も到着したとのことだ。ギシギシと廊下の木の板が軋む音が、車庫の方からだんだんこちらへ近づいてくる。

弟、登場。
シャイなぷぅ、隣にひょこん。

……無言。


弟は何も言わず、ぼくの目を見つめてくる。ぼくはぼくで、弟が口を開くもんだと思って出方を窺っている。狩場での予期せぬ遭遇みたいに、目を見合わせたままどちらも動かない時間が数秒。

いかんいかん、何か言わねば。そう思って口から出たのは「こんにちはー」だった。兄弟とは思えない距離のある挨拶に、シャイなぷぅはもうクスクスと笑ってくれている。

よしよし、一瞬変な空気になったけど、シャイなぷぅが笑ってくれたおかげでなんとか持ち直したぞ!


お昼は近くのレストランにご飯を食べに行った。父と妹と、ハイボールを3杯注文。氷が入ったジョッキと市販のハイボール缶がそのままテーブルに出てくるスタイル。おばちゃんの程よく適当なサービスが田舎らしくて心地よい。

それぞれが定食を頼んでいるのに、父親はさらに一品料理を注文する。イカゲソにトリカラにソーセージ。食べきれない。明らかに食べきれない。この前テレビで大量のご飯を食べさせることを食ハラと呼んでいて、ふとこの日のことを思い出していた。ハラスメントだとはさすがに思わないけれど、食べきれない量の注文に困る気持ちはよくわかる。帰省先で帰りを待つ側というのは、たくさん食べさせたなるもんなんだろうか。


残った揚げ物をパックに詰めて店を出る。ふと、入る時には気にならなかった、店の前にあるお猿さんの像が目にとまった。

お猿さんは時節柄マスクをつけている。何年か後にはこの光景も貴重かもしれないなと思い、スマホを取り出してパシャリ。角度が気に入らずもう一枚パシャリ。ん、なんかちがうな、……高さか?と、片足を曲げて屈みさらにパシャリ。

「ぶふっ、ちょっとww」

それを見ていたシャイなぷぅが、吹き出しながら弟に声をかける。今日一番の笑顔。

え、そんなおもろいことしてる!?
ぜんぜんウケ狙いじゃないんやけど!

シャイなぷぅはお腹を抱えて笑っている。でも笑うだけで、特にコメントはくれない。わ、わからん!笑いのツボがわからん!でもうれしい。ぼくは割と真面目に写真を撮っていたんだけど、ナチュラルにボケをかませたみたいでうれしい。

旦那の実家の集まりなんてのはきっと、心から楽しめる行事じゃない。気を遣うことも多い。だから笑顔を見られると、少しでも楽しんでもらえてる気がして安心できる。一人で勝手に背負っていた、長男としての務めだか責任だかを果たせた気がしてくる。

家へと戻り、少しゆっくりしてから、弟とシャイなぷぅが車で帰るのを見送る。結婚祝いはまだあげてない。弟に今一番ほしいものを聞くと「精米器」と返事が来たので、もう少し買い求めやすいものに気分が変わってからにしようと思っている。

それにしても精米器て。
どこの田舎もんやねん。

ちなみにお兄ちゃんは今、野菜室が別になっている冷蔵庫が欲しいです。


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