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棺桶の中にゲーム機を。

こんにちは、ルクと申します。
先日まで龍が如く8を200時間程遊んでいました。

齢40を過ぎて尚、まさかこれ程にゲームを遊ぶとは…幼い頃の自分が見たら想像が…

うん、想像出来てたな。


というのも、俺の幼少期~思春期にあたる時代は
ファミコンがスーファミに生まれ変わり、後にはプレステやセガサターンが誕生

まさに家庭用ゲーム機の革命期

ファミコン時代の荒いドット絵から細かなドットに進化し、更には3DポリゴンのCGが織り成す演出。
当時の少年達はきっと口を揃えてこう言ったでしょう

「これ実写じゃん!!( •̀ㅁ•́;)」

今改めて思えば、全くそんな事は無い。
しかし目まぐるしく進化を遂げるゲームから受けた衝撃を表現する言葉として、子供ながらにこれ程適切な言葉は無かったように思う。

そこに至る迄に時代を少し遡ると、格ゲーの始祖といえるスト2がスーファミでリリースされ
昇竜拳を出せるようになるまで練習したり
マリオカートの中毒性のある面白さに夢中になった。
更にはFFやドラクエのナンバリングや、伝説の名作クロノトリガー等
挙げればキリがないが、当時がゲームの黄金期だと断言する方々も少なくは無いでしょう。

さて、そんな時代ですからね?当然クラスメイトの殆どがファミコンやらスーファミを持っていたワケです。
(今思えばですが、父親が個人的に買っていた家庭も多かったんだろうな)

まぁ〜FFやら餓狼伝説やらドカポンやらゴエモンやら。
好きな時に好きなゲームを遊べるなんて、なんとまぁ羨ましい限りでした。

何だか雲行きが怪しくなってきた、とお察しの方もいらっしゃるかと思いますが。
ここで冒頭の話に繋がります、おっさんになっても
楽しくゲームを遊んでいる個人的理由。

周りの同級生らがファミコンやスーファミを持っている時期、俺は持ってなかったんですね…小学校の6年間。
まぁこういう話は別に珍しい程のことではないですが、重要なのは本人がどれ程そのことに執心なのか
という部分でして…。

もちろんゲームが好きで楽しいから欲しい、というのは前提としてあったのですが。
ただ、それだけではなく子供の身として
友達は全員(といっても過言では無い)持ってるのに、自分は持っていない。
同じになりたい。
これが幼心に辛かったのでしょうね。
よりゲームに対する執着というものが強くなっていたように思います。

買ってもらったと見栄の為に嘘をつき、友達を家に招けなくなった時期もありました。
カワイソウ。

お年玉で買う事の許しもでず、目が悪くなるからの一点張りで、子供ながらに納得のいかない思いを抱えていた中、今でも鮮明に憶えている事がひとつ

当時、小学一年生だったクリスマス時期
誰もいない部屋で電気もつけず、窓の外に見える夜空に願い事をしました。


「サンタさんお願いします!ファミコンをください…!!お願いします…!(号泣)」


俺はこの年のクリスマスを境に、浮かれた同級生のガキどもより先に…サンタクロースなんて居ないと気づいちまったのさ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈。


以降、中学~高校生に差し掛かる辺りで
ようやく人並みにゲームを遊べる環境になり

10代後半には、友人らと狂ったように夜な夜なぶっ通しでゲームを遊び続けていた。


幼い頃の願望や欲求は"ある程度"満たされないと一生抱えたままになると考えています。
自分がもし、当時にゲーム欲や同級生と同じでありたいという願望がある程度満たされていたら
今と同じようにゲームを遊んでいるだろうか、と想像しても答えは解りません。
が、おそらく人生の流れ方は違っていただろうとは思います。

大人になってから今までもゲームを好きでいられたことで、様々な人との一期一会があったり
ゲーム開発に携わる企業の動向を追ってみたりと
今だから楽しめる在り方というものもあり
自分のライフスタイルの一部以上になっております。

あー、積みゲーやりたい。
スト6も練習したい。
あー。

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