禍福は糾える縄の如し。

 すでに言わずもがなの、この御時世下。日本のみならず世界全体を、たった今も席巻しているコロナ禍。言うまでもなくそれは、今後の世界の前提を覆してしまうほどの大きな力を持っています。たった数ミクロンにも満たない、目に見えない一個のウイルスが、です。でもそれによってこの世界は、今まで誰も見たことのない社会に再構築されていく可能性にも向かっているのかもしれません。当初のずさんな対応が批判され、その後の対策も尽く後手後手に回っている日本政府のやり方は、あたかも感染爆発という最悪の結果をまるで手放しで容認しているかのように、あまりに作為的な匂いまで感じさせます。この世界を、誰かが支配している。でも明らかに悲観的なその見解でさえ、逆に覆すことのできる、その新たな可能性の宝庫。それを今こそ私たち自身が自ら発掘できる時期に、満を持して今さしかかって来ているのかもしれません。

 今年の桜は、曲がりなりにも、きちんと眺める時間を作って愛でる前に散ってしまいそう。この状況下、当たり前の日常の時間すら日に日に何かの圧倒的関心事のため奪われていくのを感じます。今はまだ何も見えず、その一端をこうしてやっと感じ取ることができる程度だけれど、確実に大きな大きな時代の節目に直面している私たち。そうしたおそらく今まで誰も見たことのない色合いの新たな時代へと向かっていく日々の中で、私たちはやっと自らの日常の中で、なぜ生きているのか、自分たちの命にどんな意味があるのか、ようやく思い出せる得がたい機会を、こうして得ていたりするのかもしれません。

 占星術という古くはバビロニア時代から続く、地上から天空を見た一つの世界の捉え方があります。それはすなわち私たち人間自身を深く見据える一個の羅針盤でもあるのです。その占星術で捉えられる世界は、人ひとりですら、その宇宙の法則からは決して無縁でない事をほのめかしています。人も世界や宇宙の一部なのです。その当たり前の事象は、古い時代も現代も何一つ変わらない。そこに占星術の掲げる普遍性のありかがあります。占星術の羅針盤とも言える占星ホロスコープは、すでに20年ほど前から、現在のこの世界の過酷な状況を星の様相に託して目に見える形に捉えていました。ちょうど私がwebで数々の専門的な占い情報に本格的に接し始めた頃です。奇しくも2020年以降の星配置が、かつての第二次大戦時と非常に酷似していたのです。戦争?まさか、と、当初はそれを見紛いました。しかし、現代の戦争は決してミサイルや戦車や核爆弾が主役ではありません。そう、小さな小さな一個のウイルス。5年ほど前に、かのビル・ゲイツも予言していた、現在の世界のこの状況。一説によれば武漢の研究所から漏れ出たものという、まことしやかな噂もあり、たとえ誰かの明確な思惑が働いていたのではないにしても、緊急事態宣言が今にして全国に発令された日本のみならず世界のこのがんじがらめの危機的状況は、まるでかつての戦時下さながらのようです。

 占いは、そうした来る未来の状況をこのように時前に把握するためにあるのでしょうか。あるいは同様に先の見えない個人の将来を予言するためにある?そうでもあると言えるし、単純にそうでないとも言える。筆者である私自身が、占星術に興味を持ったのは、やはり自分のことを占ったのが最初のきっかけでした。それと同時に、次第にこの壮大なアイテムが持つ無限のリソースにも気づいたのです。まさに森羅万象。どこかの総理が戯言で言ったのとはまるで違う、本物の世界の無限の映し鏡。それでも、ただ当たり前に人を社会を占うだけでは何かが足りない。決して結果を出してハイ、それで終わり。という世界では終始しないことにも気づいた。それはやはりそこに常に物思う人の心が介在しているからでしょう。人は考える葦であると言います。考え物思うからこそ哲学が生まれ、心理学も生まれた。占星ホロスコープも言わずもがな。未来を見たい、自分自身のことを知りたい。人の心=ミクロ。宇宙の法則=マクロ。そうした常に考える人の心がそこにあるからこそ、星の世界全体にも、微細にして大胆なその大いなるモザイク模様が人の心を通して次第に透けて見えてくるのかもしれません。

 今はその占星術において、魚座時代が終わり水瓶座時代へと向かっていく、まさにその転換期であると言われています。占星ホロスコープでは、12星座の起点を春分点である牡羊座0度に定めています。=それはかつてバビロニア時代に占星術が発祥した頃に、春分点がそこにあったからです。が、地球の自転による首振り運動によって起こる誤差の年差運動により、この春分点も約2,160年周期で少しずつずれていきます。今はちょうど星座一つ分くらい位置がずれており、実際の夜空の星空~コンステレーションとホロスコープの配置は、その星座一つ分だけ異なっています。その春分点が一つの星座にある周期を12星座の通常の順番とは逆に遡っていく過程で、今はちょうど魚座時代から水瓶座の時代に入る時期にさしかかっているという訳なのです。そして何よりあたかも狙い定めたかのように、太陽の通り道である黄道12星座の性質が、その時々の文明にも都度、顕れてきているというのが、非常に興味深いところでも。

 その水瓶座時代に呼応するかのように今春、今まで冥王星と共に山羊座にあった土星が水瓶座に星座移動したばかり。水瓶座のルーラー(支配星)である天王星も、地の不動サインの牡牛座にあり、これからの時代の経済基盤やインフラなどが根底から覆される予兆をも示しています。このコロナ禍における経済危機において、むしろウイルス感染というより、人々の当たり前の暮らしや命が今まさに危機に晒されようとしている、この期に及んでも、まともな国民政治に目を向けない政権の批判は、日を追うごとに、もはや隠しきれない所にまで来ていると思います。が、こうしたズルズルとした状況も、いつまでも続きません。何より組織的な政治や企業支配の山羊座から博愛や民意の水瓶座に土星が移ったのが論より証拠。今、心ない対応をしている政府も、必ずや国民を助ける以外に、もう他に道はないという状況に追い込まれることも星は示しているようです。同時に感染症による人々の死、という図も見えていながら、それでもその崩壊と再生の冥王星イメージが示す通り、私たちはその行き詰まった諸々の膿を出すべく、これまで当たり前だった大企業が支配する大量消費社会や、それを享受すると同時に奴隷さながらの重要な働き手となる労働力である個人などの様々な問題に、個々人が面と向き合う得がたい機会を、たった今得ているとも言えるのでしょう。壊れていくものは壊れるまま、去る者は追わずの姿勢を貫き、潔く次の時代の扉を開けるための、これまでの時代の依存とは無縁の勇気を携えて、互いに手を取り合って新しい時を生き抜いていく瞬間に、私たちは今こそ立ち会っているのかもしれません。

 インドでは数年ぶりにヒマラヤの眺望が拝めたそう。さらに地球温暖化の原因ともされる二酸化炭素の排出量が、この世界的なコロナ経済危機にて人々の人間活動が一時停止した結果、格段に減少したという皮肉な結果も。街には人の姿が消え、自然や動物たちも伸び伸びとした空気を満喫している。まさにコロナウイルスは、地球にとっての得がたい救世主?もしくは人類はこの母なる大地の恩恵を欲しいままに独占するばかりか、害悪にしかならない活動しかもたらさない、悪質な寄生虫か癌細胞の一種でしかないのかもしれません。まさにお金でしか買えないものにしかモノの価値を見出さない資本主義社会。これらの儲けのカラクリすべてがずっとこの星を壊し続けてきた。それが究極的に、人の心身を蝕む最悪の行為であることにも気づかずに。

 その意味でも、今まさに地球人類は、新たな時代の刷新を迎える、文字通りの変容の時期に差し掛かってきていると言えるのでしょう。星も、自然も、そして人も。すべてが決して無縁ではなく究極的にひと繋がりのこの宇宙の自然の法則。それを思えば、ひと握りの人間のエゴがすべてを支配し、見せかけだけの繁栄に幸福を見出そうとする社会には、すでに限界が来ているとも思えます。このコロナ禍が人にあたえてくれたもの。すべて禍福は糾える縄の如し。死も崩壊も、再生のはじまりの時代を迎えるための一種の通過儀礼。その過程において、あらためて、何一つ無闇に不安がり怖れることはないのだと心底理解するのです。時代は確実によくなる。そう、今まさに微笑んでいる地球のゆるやかな呼吸と人や動物が、心豊かに呼応して生きていく選択を選んだのなら。

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