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"正論が人を傷つける"の正体


時々自己啓発やコミュニケーション発信のsnsで見かける
「正論が人を傷つける」の文字。

それも一理、「正論」である。

話を変えます。


では、
私たちは正義について語ってみましょう

正義を論理的に語ることを
正論と申しましょう。

もう少し、掘り下げます。

私たちの正義の定義とは、何でしょうか?


一例ですが 法に基づいて、だとします。

それは誰がいつ、どんな正義に基づいて決定したのだろうか
誰の立場に基づいて、法を作ることが許されたのだろうか
本来正義とは、誰にとっても正しく、高潔で、敬われるものではなかろうか
なぜ私たちは二言三言問われるのだろうか

なんだか、面倒臭くなってくる。

時は令和、時代は多様化ならぬ多極化とまで語られている。なう。

正論がどうの
正義がどうの


ただワタシは、あなたの感情に寄り添いたい
その「正義」だとか、「悪態」だとか、なんでもいい
本物だけとっとと見せてくれと思う
その叫びさえ見せてくれたら、誰も傷つかないんだから。



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